更新履歴(2014)
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聞くだけで助ける「大悲の願海」
「どんな人も、聞くだけで、必ず絶対の幸福に助ける」というお約束が阿弥陀仏の本願である。「どんな人も」とは、十方衆生のこと。人種も民族も肌の色も関係なく、すべての人を平等に、「絶対の幸福に救う」と約束なされているのである。(2014.10.15)
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煩悩具足と弥陀の本願
自分が「煩悩具足の凡夫」とは毛頭思えない私たちに「煩悩具足」と知らせ、弥陀の救いに値わせるために、釈迦は45年間教えを説かれ、今日、膨大な一切経となって残っているのである。(2014.9.15)
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無駄な努力は一つもない
仏教の根幹である因果の道理とは、運命は行為によって決まることを明らかにする真理です。「知っただけでは、何にもならないのでは?」という疑問は、この因果の大道理をよく知れば、氷解するに違いありません。(2014.9.01)
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弥陀の誓願不思議
阿弥陀仏の救いは、いつとはなしではありません。一念の水際立つものです。言葉にかからず、想像すらできない不思議な弥陀の救いを、親鸞聖人がいろいろな角度からご教示くだされているのが『歎異抄』1章冒頭の、この一節です。(2014.8.20)
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運命は誰が決めたのか
2600年前に釈迦は、自分の運命の全ては、自分の行為が生み出すという自業自得の道理を、生涯かけて詳説された。これが仏教の根幹の教えである。(2014.8.5)
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本願寺門主「最後のメッセージ」
本願寺門首・大谷光真氏が「門主・最後のメッセージ」として新著を出版した。その中で、『歎異抄』の伝統的な解釈をひっくり返して解説した注目すべき内容があった。(2014.4.21)
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魂の葬式を急げ
昿劫流転の魂が死んだ時、苦悩の根元が断ち切られ、絶対の幸福に生かされる。だから最も急がねばならないのは、魂の臨終・葬式なのである、と親鸞聖人は教えられている。(2014.3.15)
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「弥陀の本願まこと」は仮定ではない
高森顕徹先生著『歎異抄をひらく』発刊から、平成26年3月で丸6年が経過した。この間、それまで毎年10冊以上出版されていた『歎異抄』の解説書がぱったりと出なくなった。その理由とは?(2014.3.1)
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疑情が晴れるまで
親鸞聖人は、私たちを果てしない過去から迷わせ、今も未来も苦しめる元凶はただ一つ、「疑情」だと断言されている。物があふれ寿命が延びた今日も、自殺者が絶えないのは、苦悩の根元を誰も知らないからなのだ。(2014.2.15)
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ほんまでっか? 願いはかなう?
阿弥陀仏の願いが私たちの上に満たされる。これが真実の仏法です。阿弥陀仏は、欲や怒りの煩悩しかない私たちを見てとられて、煩悩具足の者を絶対の幸福にしてやりたいと願われてるのです。(2014.2.1)
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