更新履歴(2013)
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遠く宿縁を慶べ
仏法を聞く目的は、弥陀の救いに値う以外にありません。それは人生の目的どころではなく、本当は多生永劫の目的です。だから「遠く宿縁を慶べ」と、弥陀に救い摂られた親鸞聖人はしみじみと感泣せずにおれなかったのです。(2013.9.30)
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「捨自帰他」が聖人の教えの命
親鸞会の南砺会館のお仏間には「捨自帰他」の大額が掲げられています。これは親鸞聖人90年の教えを表されているお言葉です。何を言われたものなのか、解説しましょう。(2013.9.30)
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ほんまでっか? 類に随って解を異に
阿弥陀仏は十方衆生を極悪人と見抜かれ『そのまま任せよ』と仰せ。なのに自惚れて、ああすれば、こうすれば、こうなったら、ああなったら助けてもらえるだろうと各人各様の知恵や学問で計らっている。その計らいが阿弥陀さまの御心に反しているのです。(2013.9.15)
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弥陀は、ただ与えるためだけに
本師本仏と仰がれる阿弥陀仏が作られたのが南無阿弥陀仏の六字の名号である。一体、誰のために、何のために作られたのか、親鸞聖人のお言葉に学びます。(2013.8.19)
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弥陀に起こさしめられる「欲生我国」の心
弥陀の浄土に生まれたいと願う心(欲生我国)が、なぜ真実のカケラもない私たちに起きるのだろうか。阿弥陀仏の作られた三願転入の道を親鸞聖人からお聞きしよう。(2013.8.19)
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「雑毒の善」ならやらない方がいいのか
どうせ雑毒の善ならば、やる意味がない、やらないほうがいいのではないかと誤解してはならない。行為そのものは善なのだから、因果の道理によって、まいたタネに応じた結果が現れる。(2013.7.11)
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「仏法に明日はない」聞法の覚悟
どうすれば平生の弥陀の救いに値えるのでしょうか。阿弥陀仏の救いは聞く一つ。釈迦も親鸞聖人も、火中突破の真剣な聞法を勧められています。(2013.7.1)
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燦然たる「世界の光」
苦悩の群生海は、救助の大船を刻々と、今も待っている。弥陀の一念の救いを伝えられた親鸞聖人の教えは、すべての人に燦然と輝く「世界の光」なのである。(2013.6.12)
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弥陀の光明に遇う一つ
蓮如上人は、阿弥陀仏に救われた人も、救われていない人も同様に、真剣に聴聞すべきであると教えられている。「仏法は聴聞に極まる」と仰せのように、私たちが救われるまでの道程は、弥陀の本願を聞く、聴聞の一本道である。(2013.6.12)
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心の臨終と誕生
阿弥陀仏が命をかけて「必ず、生まれさせる」と約束されている。「生まれさせる」のは死後のことだと考えるのが普通だろう。しかし、親鸞聖人は「現在ただ今、信楽(絶対の幸福)に生まれさせることである」と教えられている。(2013.5.4)
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「聴聞」とは何をどう聞くのか
「仏法は聴聞に極まる」と言われるように、「弥陀の救いは聞く一つ」とお釈迦さまは説かれています。その「聞く」とは、何をどこまで聞くことなのか、親鸞聖人が詳しく教えておられるお言葉に学びましょう。(2013.5.4)
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ほんまでっか? それが不実な信心や
阿弥陀仏は、信ずる一つで救うと誓っておられるけれど、「信ずる」とはどういうことか。私たちの「信心」の実態をなにわの夫婦の会話に学びましょう。(2013.5.3)
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ほんまでっか? 「聖人一流章」に全て収まる
「念仏称えさえすれば、死んだら誰でも極楽」と、多くの人が思っていますが、浄土往生が定まるのは平生の一念であることが『聖人一流章』に4回も書かれてあります。なにわの会話に学びましょう。(2013.5.3)
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救われない原因は何か
私たちが、果てしない過去から迷い苦しんできたのも、現在、苦しんでいるのも、未来永劫、苦しまねばならぬのも、その真因は、弥陀の本願を疑う心・疑情一つであると、親鸞聖人は教示されている。(2013.4.13)
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大悲を普く伝える最高善
親鸞聖人、42歳の御時、大飢饉であふれる餓死の惨状に、浄土三部経を千回読もうとされたことがありましたが、その誤りを善導大師のお言葉によって知らされたのでした。(2013.4.12)
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煩悩具足の凡夫と弥陀の本願
「足ることを知る」とは物質に執着しない、何事にもこだわらないことだと言われるが、これは仏教の教えの始まりではあっても、真髄ではない。仏教の真髄を親鸞聖人はどう教えておられるのだろうか。(2013.4.9)
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【マンガ】『ひらく』後 真実開顕へ刻む時7
「怒濤の光輪」の巻『歎異抄をひらく』御発刊から5年。反論書は一向に出ない。これによって明らかになったことは、『歎異抄をひらく』に書かれてあることが間違いのない親鸞聖人のみ教えであることである。(2013.3.28)
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【マンガ】『ひらく』後 真実開顕へ刻む時6
「断言できない親鸞聖人のお言葉はない」の巻親鸞聖人の教えについて、「私はこう思う」「私はこう考える」と私見を平気で語る者がいる。親鸞聖人の教えはお聖教に明らかである。親鸞学徒の本道を往かねばならない。(2013.3.28)
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超世希有の大信心と出世の本懐
親鸞聖人の教えは“信心一つで助かる”という教示である。どの宗教でも「信心」というが、親鸞聖人の説かれる「信心」は、それらとは全く異質であることを知らねばならない。(2013.3.20)
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全人類は滝つぼに向かっている
すべての人は川下りの船に乗っていることに例えることができる。船の中でどれだけ楽しみを求めても、心からの安心も満足も無いのは、その船が死という滝つぼに向かっているからと言えよう。この一大事の解決を仏教は教えられているのである。(2013.3.20)
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多生にも値えぬ弘誓の強縁
私たちの生きる目的は、「弘誓の強縁」に値わせていただき、永遠の幸福を獲ることである。万劫の重みがある一座一座を、真剣に聞かせていただこう。(2013.2.21)
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【マンガ】『ひらく』後 真実開顕へ刻む時5
「平生の一念でハッキリする」の巻阿弥陀仏の救いは、「いつとはなし」というのは親鸞聖人の教えではありません。平生の一念でハッキリすることを親鸞聖人は明快に教えておられます。(2013.2.20)
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【マンガ】『ひらく』後 真実開顕へ刻む時4
「親鸞聖人の歓喜の証言」の巻弥陀に救い摂られた親鸞聖人の歓喜の証言が、主著『教行信証』にハッキリと記されています。一念で鮮やかに救い摂ってくださるのが弥陀の救いなのです。(2013.2.20)
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【マンガ】『ひらく』後 真実開顕へ刻む時3
「地方のある住職会議で③」の巻『歎異抄をひらく』には、親鸞聖人の書かれた『教行信証』をものさしに『歎異抄』の意味が解説されている。これによって、多く誤解されてきた『歎異抄』の文章が、正しく理解できるようになった。(2013.2.15)
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まことに宿善まかせ 蓮如上人のご遺言
「宿善まかせ」とまで蓮如上人が仰る「宿善」を、親鸞学徒は熟知していなければなりません。それを聞くための聞法道場が、親鸞会の二千畳なのです。(2013.2.15)
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【マンガ】『ひらく』後 真実開顕へ刻む時2
「地方のある住職会議で②」の巻「誰でも彼でも念仏を称えることによって、本当の幸福を得て、お浄土に参らせていただく」という本願寺総長の説教は、称名正因の異安心。親鸞聖人のみ教えは「信心正因」であることは『教行信証』で明らかです。(2013.2.12)
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【マンガ】『ひらく』後 真実開顕へ刻む時1
「地方のある住職会議で①」の巻『歎異抄をひらく』の発刊以降、『歎異抄』の解説書が1冊も出なくなって5年が経過しようとしている。いったい何が起きているのだろうか。(2013.2.12)
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弥陀の救いは平生の一念
親鸞聖人は、「死後、浄土往生できるのは、現在、心の往生のできた人のこと。いま救われないで、どうして後生の一大事、救われようか、と教えられている。(2013.2.12)
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真剣な聞法の勧め
信仰が進むほど、同じ話が初事と聞けるから、そういう真剣な聞き方を蓮如上人は勧めておられる。どれだけ聞いても飽きぬ、無尽の法蔵・南無阿弥陀仏を頂いて、見事出世の本懐を果たすまで、真剣な聞法に身を沈めよう。(2013.1.10)
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