更新履歴(2015)
-
名号を因とし光明を縁として
私たちが、本当の幸福になる因縁とは何なのか。親鸞聖人は『正信偈』の一行で明らかにしてくださっています。(2015.12.10)
-
救われなかったら何にもならないのか
「阿弥陀仏に救われなかったら、諸善や五正行(勤行)をしておっても何にもならん」と言う人は、何をどう聞き誤っているのでしょうか。(2015.11.6)
-
人生の目的は「往生一定」
私たちは決して、苦しむために生まれてきたのではありません。阿弥陀仏に救われ、いつ死んでも極楽参り間違いない「往生一定」になるために、生きているのです。(2015.11.27)
-
億劫にも獲がたき真実の浄信
親鸞聖人は、主著『教行信証』の冒頭に、「果てしない永い間(億劫の間)求め続けてきた真実の信心(真実の浄信)を、今、獲ることができた」と述懐されています。(2015.10.3)
-
真の先祖供養とは――平生業成
毎年、お盆の時期になると、墓参りや読経など「先祖供養」が盛んに行われます。親鸞聖人は、真の先祖供養をどう教えられているのでしょうか。(2015.10.22)
-
「聴聞の一本道」とは「三願転入」
聴かずしては教えにしたがえません。まさに「聴聞の一本道」とは「三願転入」にほかならないことを、親鸞聖人は、生涯かけて開顕してくだされたのです。(2015.9.9)
-
苦悩の根元は疑情一つ
古今東西の全人類が最も知りたい「苦悩の根元」を道破された方が、親鸞聖人なのです。(2015.9.18)
-
誠なるかなや、摂取不捨の真言
「まことであった。本当だった。絶対の幸福に救い摂る弥陀の本願、ウソではなかった」 この聖人のお言葉から知らされるのは、弥陀の救いは、死んでからではない。現在ただ今ハッキリする、ということなのです。(2015.8.6)
-
平生業成は親鸞聖人唯一のメッセージ
「平生業成」は、聖人の教えすべてを表す一枚看板です。「平生」とは、生きている時。今、聞かねばならぬ仏法を明らかにされた方が、親鸞聖人なのです。(2015.8.25)
-
死ねば誰でも極楽なのか
親鸞聖人の教えに対する最も大きな誤解の一つが、「親鸞聖人は、死んだら誰でも極楽浄土に往生できると教えられた」というものです。しかし、これは仏教でもなければ、親鸞聖人の教えでもありません。(2015.7.18)
-
他力の信心から三世十方を貫く教えが説かれる
常識を自負する人ほど、全ての人が一味になれる信心など想像もできない。だから弥陀に救われたといっても、「信心は人それぞれ」と考える。その根深い迷いを正されるために、法友と激突されたのが、親鸞聖人の「信心同異の諍論」です。(2015.6.15)
-
人生の苦海に大船あり
阿弥陀仏の創られた「南無阿弥陀仏」の大船に乗せていただけば、人生の苦海が光明の広海と転じ、必ず極楽浄土へ渡してくだされる、だから早く大船に乗りなさい、と親鸞聖人は教えられました。(2015.6.16)
-
2014年 の更新履歴はこちら