更新履歴(令和5年)
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真剣な聞法を二千畳で
釈迦の出世の本懐である阿弥陀仏の本願が正しく説かれているのは、雨夜の星より稀です。その稀有な場所が、世界最大の二千畳なのです。(R5.9.15)
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苦海の人生に大船あり
人は、なぜ生きるのか。これ一つ明らかになされた方が、親鸞聖人です。聖人は人生を荒波の絶えない海に例えられ、「難度海」と言われています。(R5.9.1)
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お盆とはどんなことか
盆といえば、都会の人も地方の実家へ帰り、墓参りするものだと思っている人が多いでしょう。果たして、地獄へ堕ちた死者に盆休みはあるのでしょうか。亡くなった人の行き先は変わるのでしょうか。(R5.8.15)
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人界受生の喜び
仏法の目的は弥陀に無碍の一道に出させていただく以外にありません。それ一つ説かれた源信僧都は、まず人間に生まれたことを喜ぶことが大事な心掛けであると教導されています。(R5.8.1)
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私が幸せになれない唯一つの理由
際限なく繰り返し、苦しみ続けることを「流転輪廻のきわなきは」と聖人は言われています。では、なぜ苦の無限ループから逃れられないのでしょうか。(R5.7.15)
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永久に変わらぬ智者になろう
平生に弥陀の願力によって後生明るい心に救われたら、来世は「弥陀の浄土」とハッキリします。旅立つ先が、「無量光明土」(限りなく明るい世界)に決まるのですから、これほど素晴らしいことはありません。この最高無上の幸せになった人を「智者」といわれるのです。(R5.6.15)
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なぜ今、ブームか『歎異抄』
ご生誕850年の今年、令和5年は、一般紙でも「親鸞聖人」が特集され、関心を持った人々がまず手にするのは、『歎異抄』でしょう。聖人の教えの入門書といわれます。(R5.6.1)
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弥陀に照育されて進む聴聞の一本道
人は何のために生まれ、なぜ生きるのでしょうか。有史以来、問われ続けてきた問いに、親鸞聖人は、「本願の大智海に開入するためだ」と『正信偈』に断言されています。(R5.5.15)
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万人の追い求める真の希望
「すべての人を苦海の人生から救い上げ、浄土に連れていく」と誓われた、本願の大船に乗せていただくことこそ人生の目的だと、親鸞聖人は明言されています。(R5.5.1)
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芥川の絶望をも救う弥陀の本願
今日、科学は急加速で進歩し、宇宙や遺伝子の謎は次々と解明されましたが、「私」の正体は、今なお、ベールに包まれています。(R5.4.1)
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最尊の仏恩報謝
この世は絶対の幸福、一息切れれば浄土往生の身にしてくだされた弥陀のご高恩に、どう報いればよいのか。常に悩まれていた親鸞聖人がなされたこととはなんだったのでしょうか。(R5.3.15)
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「王舎城の悲劇」に示される釈迦弥陀の方便
親鸞聖人は「王舎城の悲劇」を、登場人物すべてが仏の権化であり、それぞれの役で演技なされたお芝居と見ておられます。それは何を伝えるためだったのでしょうか。(R5.3.1)
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二千畳で何を聞くのか
「二千畳で何を聞くのですか?」と問われたら、「本当の自分の姿を聞くのですよ」と答えればよいでしょう。(R5.2.1)
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妨げるものなき無碍の世界
親鸞聖人は『歎異抄』第7章に「阿弥陀仏に救われ念仏する者は、一切が往生の障りとはならぬ絶対の幸福者だ」と宣言されています。(R5.1.15)
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ご生誕850年に誓う
今年は親鸞聖人ご生誕850年。受けし大恩に感泣し、弥陀の本願を伝える一大勝縁と奮起して、浄土の慈悲に徹しましょう。(R5.1.1)
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