なぜ今、ブームか『歎異抄』
ご生誕850年の今年、令和5年は、一般紙でも「親鸞聖人」が特集され、関心を持った人々がまず手にするのは、『歎異抄』でしょう。聖人の教えの入門書といわれます。
なぜ『歎異抄』は大衆を引き付けるのか。流麗な文章や、「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」に代表される逆説的表現の魅力もさることながら、「なぜ生きる」の答えが明示されているから、と断言しましょう。
人は何のために生まれ、生きているのか。苦難の連続でも自殺してはならぬのはなぜか。それが、「なぜ生きる」の答えであり、「人生の目的」です。
日本では昨年、約2万2千人が自ら命を絶ちました。コロナ禍では増加傾向といいます。12年前の東日本大震災の犠牲者がほぼ同数ですから、未曽有の災害に匹敵する悲劇が、毎年起きていることになります。大変根深い問題です。
自殺者は「死んだほうがマシ」と思うほど、深刻な苦悩にさいなまれていたに違いありません。人気の若手俳優や実績のある女優、お笑い芸人も自死したと聞くと、「金も名声もある人が、なぜ!?」といぶかりますが、人知れず追い詰められていたのでしょう。
年収が1億、都内にマンションを買った、30代で起業してヤリ手社長と称賛される、永年の功績を表彰してもらったなど、この世の幸せは、やがて色あせ、苦しみに変質することさえあります。
大河ドラマの主人公・家康は、関ヶ原を制して天下を取り、征夷大将軍となって幕府を開きました。強大な権力と富を手中に収め、わずか2年後の64歳で将軍を息子に譲ったが、実権は握っていました。
だが、徳川の世を盤石にするには、豊臣と決着をつけねばならず、大坂夏の陣では74歳で出陣、当時の平均寿命を優に超えています。
「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」の遺訓どおり、翌年、75歳で病死するまで、重荷を下ろせなかったのです。
『歎異抄』1章には、「摂取不捨の利益」を得ることこそが生きる目的だと説かれています。大宇宙の仏方の師である弥陀は、私たちをガチッと一念で摂め取り、永遠に捨てぬ不滅の幸せ(利益)にしてみせると約束されています。絶対の幸福ともいわれます。それこそ、全人類の希求する「なぜ生きる」の答えなのです。
さらに7章には、人生の目的を達成した世界を「無碍の一道」と喝破され、この身になった人には、天地の神が敬って頭を下げ、悪魔・外道の輩も妨げることができないと道破されています。
「なぜ生きる」を知らなければ、『歎異抄』を精読しても聖人の教えを正しく受け取れず、永久の好機を逃すことになるでしょう。
(R5.6.1)