最尊の仏恩報謝
祖師聖人が上野国(今の群馬県)に滞在されていた42歳の御時、大飢饉があり、救いを求める人があふれていました。その惨状に聖人は、衆生利益の心やみ難く、「浄土三部経」千回読誦をされました。
ところが、4、5日なされて、「われ誤てり、われ誤てり」と仰って、「何の不満があって経典を読もうとしていたのであろうか。『大悲伝普化 真成報仏恩』ではないか」と直ちに布教へ旅立たれたことが、「恵信尼文書」に記されています。
「阿弥陀仏の大慈悲心を伝えて、人々を真の救いへ導くことほど難しいことはない。だからこそ、無上の仏恩報謝になるのだ」と、善導大師は仰っています。
この世は絶対の幸福、一息切れれば浄土往生の身にしてくだされた弥陀のご高恩に、どう報いればよいのか。常に悩まれていた聖人は、ついつい伝統的な因習に引かれたのでした。
しかし、過ちにすぐ気づかれ、「私のできる最高の仏恩報謝は、一人でも多くに弥陀の本願を伝え、信心獲得までに導くことではないか。私にはその布教しかないのだ」と反省なされています。
59歳の御時も、弥陀の限りなき大恩をいかにお返しすべきか悩まれ、高熱で伏せられました。
だが、4日目の朝、「そうであったか」と飛び起きられるや、「弥陀の深いご恩を思えば、じっとしてはおれん。やはり布教しかなかったと、またまた思い知らされた」と詠嘆され、直ちにご布教を再開なされています。
「如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
骨を砕きても謝すべし」
の「恩徳讃」は、形容詞でも美辞麗句でもありません。
今の世も、戦争で故郷を追われ、巨大地震で家を失って悲嘆にくれる人々を知ると、矢も盾もたまらず、何かできないか、せめてわずかな義援金でも、という気持ちにもなります。もちろん、それも大事ですが、一時的な救いに過ぎません。人間の慈悲では、苦しみ悩む人すべてを助け切ることは不可能でありましょう。
阿弥陀仏の大慈悲心なればこそ、万人を差別なく、聞く一念に絶対の幸福にしてくださり、この世から未来永劫にわたって救い切ってくだされるのです。
わたしたち親鸞学徒は、最尊の仏恩報謝を知らされています。有縁の人に、胸から胸へ、真実の宝「一念の信心」を叫び続け、ともに、未来永劫の幸福に生かされたいものです。
聖人ご生誕850年を、報恩の大勝縁といたしましょう。
(R5.3.15)