万人の追い求める真の希望
難思の弘誓は難度の海を度する大船、無碍の光明は無明の闇を破する慧日なり
畢生の大著『教行信証』冒頭の一文に、聖人の教えは全て収まります。
「難思の弘誓」とは、「どんな人も必ず救う」と誓われた、阿弥陀仏の本願のことです。約束の相手が広い、人間の思議を超えたお約束だから「難思の弘誓」と言われ、大きな船に例えられています。
その弘誓の大船が浮かぶ「難度の海」とは、苦しみの絶えない人生のことです。苦海の波は、子供にも容赦なく押し寄せます。昨年は、小中高生の自殺が過去最多となりました。実社会に出てからの苦悩は、温室の幼少期とは比較になりません。人の一生は、どこまで行っても上り坂です。
だが私たちは決して、苦しむために生まれてきたのではありません。難度海に溺れる全人類を乗せて、極楽浄土まで渡してくださる大きな船があります。「すべての人を苦海の人生から救い上げ、浄土に連れていく」と誓われた、本願の大船に乗せていただくことこそ人生の目的だと、親鸞聖人は明言されています。
弥陀が助けたもうのは、今まさに難度海にあえぐ衆生です。死んだ後ではなく平生、一念の瞬間に救い摂ってくださるのです。では大船に乗せて頂いたら、どうなるのか。「無碍の光明」で「無明の闇」が破られると、明解に説かれています。
「無碍の光明」とは、絶大な弥陀の本願力であり、「無明の闇」とは、死んだらどうなるか分からない「後生暗い心」をいいます。
「生きる」とは、去年から今年、今年から来年へと「旅する」こと。だが、いつまでも年を越せるのではありません。たとえ核戦争が起きなくとも、地球の80億人は全員、遅かれ早かれ死んでいきます。今生の旅には必ず、終着が訪れます。ならば次の生、どこへ旅立つのか。どれだけ考えても分かりません。この「死後に暗い心の闇」を、「無明の闇」といいます。
未来が真っ暗なまま、どうして現在を明るくできましょう。無明の闇が、人生を苦しみに染める根本原因なのです。
大船に乗せていただき、無明の闇が一念に破られると、浄土往生間違いなしと、未来の行き先が明るくなります。「生まれてきたのはこのためだった」と、人生の目的が鮮明になり、生命の大歓喜を味わえるのです。
想定外のパンデミックと戦争で、多くの人が希望を奪われました。明日はわが身かもしれません。たとえ平穏に生きられても、いよいよ臨終となったら一切の希望が消え、未知の世界に飛び込む不安が胸一面を覆います。この闇を晴らし往生一定の決定心になることこそ、万人の追求すべき真の希望なのです。
(R5.5.1)