真剣な聞法を二千畳で
人身受け難し 今已に受く 仏法聞き難し 今已に聞く (釈迦)
人間界に生まれた喜びと、仏縁のあった幸せを、ブッダはこう教えられています。
せっかく有り難い人間界に生まれながら、仏法に無縁の人が、いかに多いことでしょうか。
仏法といっても、阿弥陀仏の本願を聞かなければ助かりませんが、釈迦の出世の本懐である阿弥陀仏の本願が正しく説かれているのは、雨夜の星より稀です。
その稀有な場所が、世界最大の二千畳(富山県射水市、小杉インターから車で1分)なのです。
この二千畳で本当の弥陀の本願を聞かせていただけるのは、遠い過去世からの仏縁がなければ、毛頭あり得ないことです。
ブッダは、幾多の難関を突破して聞法している親鸞学徒の仏縁を祝福され、こう激励されています。
この身、今生に向かって度せずんば、さらに何れの生に向かってか、この身を度せん
何がなんでも今生で救われねば、いずれの境界で救われようか。チャンスは今生にしかないのだよ。
それには、ブッダをはじめ善知識方は一貫して、「仏法は聴聞に極まる」と教示されています。阿弥陀仏の救いは、「聞く一つ」であるからです。
親鸞聖人は聞法の心がけを「たとえ大千世界に、みてらん火をも過ぎゆきて聞くべし」と勧められ、蓮如上人もまた、「火の中を分けても法は聞くべきに 雨風雪はもののかずかは」と諭されています。
その他多くの先達は、仏法は「骨折って聞け」「足で聞け」と、いずれも、「苦労して聞け」と勧めていられます。
楽な聴聞では、難信の弥陀の本願は聞きひらくことはできません。一大事の後生だから、正座でど真剣に聞いて当然です。
二千畳は、弥陀の本願を聞きひらき、無上宝珠の六字の名号を獲得するために建立された、無二の法城なのです。
最新鋭の大映像も、100メートル離れていても音が拡散しない平面スピーカーも、根拠表示システムも、空調などのハイテク設備も、真剣な聞法のためにのみ、配置されています。
この世の宝は、いつか壊れる。喜びも色あせ、消えていく。焼けもせず、流されも盗まれもしない、いつも満ちている無上の幸福を弥陀より賜るための、二千畳の大殿堂。
大宇宙が猛火に包まれようとも、その中を突き抜けて弥陀の本願を聞く人は、一念で絶対の幸福に救い摂られるのです。
阿弥陀仏の御名を聞き
歓喜讃仰せしむれば
功徳の宝を具足して
一念大利無上なり
(浄土和讃)