死が恐ろしいとは思えない
一度は死ななければならないことは分かっていますが、僕は死ぬことがそんなに恐ろしいとは思えないのです。だから後生の一大事ということが分かりません。
かつて滅亡寸前の南ベトナムの指導者であったグエン・カオ・キが、「最後の一兵まで、祖国を死守せよ」と絶叫しながら、燃えさかるサイゴンを尻目に米空母へ逃げこんだとき、「逃げた男を叱った男が、逃げて来たよ」とアメリカ人に笑われました。その後、彼はアメリカで酒屋のおやじをしていたそうです。
日本でも例外ではありません。
あの有名な特攻隊を送り出した将軍が、自分で転任令を書いて逃げ帰った例もあります。
あるガンの専門医は、「不治のガン患者には、ガンであることを本人にも家族にも知らせずにおくと、5年以上も生きられるが、家族だけに知らせても生きる期間は2年は縮まる。それが本人にも知らせると、1年も生きる人は少ない」と報告しています。
戦場とか大ゲンカで極度に興奮している時は、案外、平気で死ねるようにみえますが、そんな感情は続きません。
あの忠臣蔵の大石内蔵助が切腹の時、腹を開き短刀は握ったが、手がふるえて腹に突き刺すことができなかった。介錯人が見るに見かねて、彼の輝かしい名声を傷つけまいと、大石の切腹の前に首を刎ねた、と伝えられています。
「手を一つ 打つにつけても 討つという 敵のことは 忘れざりけり」の執念が実って、吉良邸に討ち入った時の内蔵助には、死は眼中になかったかもしれませんが、そのような激情は永く続くものではありません。
シェークスピアは『尺には尺を』の中で、「死ぬのは、こわいことだ」と、クローディオに叫ばせ、ユーゴーは、『死刑囚最後の日』の中で、「人間は、不定の執行猶予期間のついた死刑囚だ」と言っていますが、すべての人間の最大の悲劇は、遅かれ早かれ死なねばならないところにあるということでしょう。
「今までは 他人のことぞと 思うたに オレが死ぬとは こいつぁたまらぬ」と言って亡くなった医者があったといいます。
自己の死は動物園で見ていた虎と、ジャングルの中で出会った虎ほどの違いがあるのでしょう。
「忘れていた、忘れていた、やがて死ぬ身であることを……」と呟き、死んだ文豪もあったと聞きます。
人間はみな死ぬ。しかし、すぐに死ぬとは誰も思っていません。それは本当に自分が死ぬとは思われないということでしょう。
だから、どれほど想像力を逞しくしても死の実態は、死の直前まで目隠しをされているのです。その目隠しをはずされた時は目隠しされていた時の、それどころではないでしょう。
平生に弥陀の光明に照育されなければ、後生の一大事は分からないことなのです。