金や物のない人は布施行できないのか
仏教では、金や物を他人に施す布施の行為は、大変功徳があり仏縁になるといわれていますが、金や物を持たない者は、布施はできないのでしょうか。
仏教で「長者の万灯よりも、貧者の一灯」といわれますように、仏教で教えられる布施の行為は、その心にこそ大切な意味があるのです。
たとえ、金銭や物質に恵まれていない人でも、布施しようとする精神さえあれば、いくらでもできる行為だと教えられています。
その方法を教えられたのが、『雑宝蔵経』に説かれている、無財の七施という教えです。
これは、金も物も名誉も地位もない人でも、布施しようという心さえあれば、七つの施しができるということです。
眼施、和顔悦色施、言辞施、身施、心施、床座施、房舎施の七つが説かれています。
第一の眼施といいますのは、やさしい眼ざしで、周囲の人々の心を和ませるように努めることです。
「目は、口ほどに物を言う」とか、「目は、心の鏡」ともいわれますように、人間の目ぐらい、複雑な色合いを映し出すものはありません。その目に湛えられた和やかな光は、どんなに、人々を慰め励ますことでしょう。
特に、過失を犯して悲嘆にくれている時などは、更生への愛撫となりましょう。
次の、和顔悦色施といいますのは、やさしいほほえみを湛えた笑顔で、人に接することをいいます。心からの美しい笑顔こそ、まさに人生の花でありましょう。
純粋無垢な笑顔に接する時、人は一瞬、人生の苦労を忘れ生き甲斐さえ感じます。笑顔は周囲全体を和ませ、トゲトゲしい対人関係をスムーズにします。
第三の言辞施は、やさしい言葉をかけるように努めることです。
ツルゲーネフが、ある時、玄関先に立った物乞いに、何一つ与えるものがなかったので、済まないなぁの念いから、相手の手を握りしめて、「兄弟!!」と涙ぐみました。
永年、多くの人から色々の物をもらったが、あの時ほど嬉しかったことはなかったと、彼は述懐したといいます。
心からの優しい言葉は、どんなに相手を喜ばせるか計り知れないものがあります。
第四の身施は、自分の肉体を使って、他人のため社会のために奉仕することです。いわゆる無報酬の労働です。
次に、心施といいますのは、心から、感謝の言葉を述べるようにすることです。
「ありがとう」「すみません」のたった5文字の音声ですが、世の中を、どんなにか住みよく明るくするか知れません。
第六の床座施は、場所や席をゆずり合う心遣いをいいます。
乗り物の座席の取り合いから、権力の座の争奪にいたるまで、いつの世相を見ましても、いかに、床座施が必要かが知らされます。
少しでも床座施の心があれば、この世は気持ちよく住みやすく変わるでしょう。
最後の房舎施は、訪ねて来る人、求めて来る人があれば、一宿一飯の施しをして、その苦労をねぎらうことをいいます。
このように、布施しようとする精神さえ私たちにあれば、何も持たないどんな人でも、いつでもどこでもできる善行が、布施であることがお分かりになるでしょう。
まかぬ因は、絶対に生えませんが、まいた因の結果は、必ず、まいた人に現れますから実践に努めましょう。