八万四千の法門は すべて弥陀(本師)の19の願意
釈迦(弟子)の独断にあらず|親鸞会 顕正新聞(1/2)
凡そ八万四千の法門(釈迦一代の教え)は
みなこれ浄土(弥陀)の方便の善なり。
(親鸞聖人『一念多念証文』)
弥陀如来と申すは、三世十方の諸仏の本師本仏なり。
(蓮如上人『御文章』2帖目8通)
一般には、仏教に「聖道門」と「浄土門」の二つがあると言われています。
「聖道門」といわれるのは、天台宗、真言宗、禅宗など、自力で修行に励み、さとりを開こうとする仏教です。
「浄土門」とは、阿弥陀仏の救いを説く仏教です。
しかし実は、「聖道門」とは、後世の人たちに間違って解釈された仏教で、本来の仏教に「聖道門」も「浄土門」もありません。
弥陀の救いに導くための方便、すなわち"通過点"の教えを、"終点"と誤解したのが「聖道門仏教」なのです。
お釈迦さまの真意は、弥陀の本願(18願)ただ一つ。
親鸞聖人はそれを、『一念多念証文』に「凡そ八万四千の法門は、みなこれ浄土の方便の善なり」と教えられています。
なぜ八万四千の法門(釈迦一代の教え)は、浄土(弥陀)の方便の善と言い切れるのでしょうか。
仏教界の常識を引っ繰り返す親鸞聖人の教示を、法友の感想から振り返ってみよう。
親鸞聖人の卓見
東京都 男性
「八万四千の法門は、みなこれ浄土の方便の善なり」の親鸞聖人の卓見に感服せずにはおれません。
高校時代、日本史の教科書で親鸞聖人はじめ、空海や最澄など開祖の名や、薬師寺、永平寺など数々の寺の名前を目にして、仏教といってもいろいろあるように思っていました。
しかし今回、「聖道門」「浄土門」といわれるが、釈迦の真意は弥陀の本願ただ一つ。二つあるはずがないと聞かせていただきました。
一切経すべてを「浄土(弥陀)の方便の善」と断言された親鸞聖人のみ教えは、唯一の釈迦の真意を明らかにされた教えであり、仏教の真髄であると知らされました。
弥陀のご命令で、釈迦が説かれた
愛知県 女性
お釈迦さまのご一生は、阿弥陀仏が十方衆生を18願へ導く方便に建てられた19願の御心を明らかにされること、一つでした。
だから、すべては阿弥陀仏の独り働きであり、お釈迦さまの力は、微塵もないと、繰り返し聞かせていただきました。
「釈迦よ、地球上のすべての人に、私が19の願でどんなことを誓っているか、分かるように一生懸けて説いてきなさい」
と、弥陀のご命令で、釈迦は仏教を説かれたのですね。
弥陀と釈迦の関係を、どうしたらハッキリするかと、分かりやすく教えられたこの言葉を、よくよく心に留めておきたいと思います。
仏教に、聖道・浄土の二つがあるのではないとスッキリしました。
親鸞聖人が「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」(如来、世に興出したまう所以は、ただ弥陀の本願海を説かんがためなり)とズバリ教えてくだされた、聖語の重みを感ぜずにおれません。
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