弥陀の救いは一念
この「浄土往生間違いなし」の身になることが、我々の人生の目的であり、多生の目的なのである。
それは全く阿弥陀仏のお力によってであるから「聖人一流章」には、
「不可思議の願力として、仏の方より往生は治定せしめたまう」
とか、
「如来、わが往生を定めたまいし」
と説かれている。
しかも、「その位を『一念発起・入正定之聚』とも釈し」とあるように、来世の往生が定まるのは、平生の一念である。親鸞聖人は、この一念を「時尅の極促」と仰り、時間の極まりと鮮明に解説されている。
何兆分の一秒よりも短い極速の一念に、弥陀の不可思議の本願力によって、正定聚に入るのだ。正定聚とは、さとりの52位のうちの51段目、あと一段で最高無上の仏になれるという位である。
この弥陀の救いのすごさを、親鸞聖人は『教行信証』に、弥勒菩薩を引き合いに出して教示なされている。
正定聚の身になるとは、かの弥勒菩薩と同格になるということだ。しかも弥勒よりも幸せなのは、弥勒はあと一段上って仏覚に到達するまでに、56億7000万年も厳しい修行をしなければならないが、
「念仏の衆生は、横超の金剛心を窮むるが故に、臨終一念の夕、大般涅槃を超証す」 (教行信証)
“弥陀の救いに値った人は、この世の命が終わると同時に、「弥勒、お先に御免」と仏のさとりを開くのである”
弥陀の本願力が、いかに偉大であるか、分かるであろう。