信心決定を本とする
その蓮如上人の書かれた『御文章』の中で、最も親しまれているのが「聖人一流の章」である。短い文章に、親鸞聖人の教えのすべてが凝縮されているからだ。
その冒頭は、こうである。
「聖人一流の御勧化の趣は、信心をもって本とせられ候」
“親鸞聖人九十年のみ教えは、信心一つである”
と、ズバリ核心を明らかにされている。
この「信心」とは、信心決定(しんじんけつじょう)、すなわち阿弥陀仏に救われたことを言う。
救われた、と言っても、仏教では一体何が救われるのか。
蓮如上人の『領解文』に、「われらが今度の一大事の後生御たすけ候えとたのみ申して候」とあるように、「後生の一大事」が救われるのである。
後生とは、死後、来世のことだ。一日生きれば、一日死に近づく。嫌じゃ嫌じゃと言いながら、人は皆、墓場に向かって行進している。
死ねばどうなるか。それが分からない不安を抱えて生きている。
ちょうど、降りる場所のない飛行機のようなものである。政治や経済、科学、医学、倫理、道徳などで、人類は少しでも長く快適な飛行を楽しもうとしているのだが、それは、燃料切れまで、どうやって機内で楽しもうか、と考えているに等しい。
何をどれだけやっても、降りる場所がなかったら、最後は墜落の悲劇あるのみである。
この、必ずやってくる来世を蓮如上人は「今度の一大事の後生」と言われているのだ。この後生の一大事が解決されない限り全人類は、何を手に入れても、どんなに社会体制を変革しても、心からの安心も満足もできないのである。