どこに向かって 泳ぐのか

親鸞会 仏説

 新型インフルエンザで2週間延期された親鸞聖人降誕会が、待ちに待った親鸞学徒で親鸞会館はあふれ、喜び一杯で開催された。

 親鸞聖人のご生誕がなかったら、何人も知りえなかったこととは何か。
 人類にとって、それは最も大事なこと。人生の目的である。
 人は何のために生まれ、何のために生きるのか、人類最大の難事だ。

 過日ある法友が、東京池袋のビルの屋上に、自殺せんと立っている人を眼前にしたという。
「こんな苦しい人生、なぜ生きねばならぬのか。死んだほうが、よっぽどマシじゃないか」と、全身で彼は訴えかけているようだったと語っている。

 自殺者は日本で毎年3万人を超す。世界では何と100万人もが、年間自ら命を捨てている。

「人身受け難し、今すでに受く。仏法聞き難し、今すでに聞く」(釈尊)

 日本一の金持ちになるよりも、ノーベル賞を獲得するより難しい人界の受生。
 なのになぜ、人間に生まれたことが喜べないのか。生命の歓喜を味わうことができないのか。
「生んでくれて有り難う」と心から親に感謝できる人は、この世に幾人あるだろうか。

 人命の尊重を強調する人は多い。だが誰もその理由を知らない。
 人間尊重のヒューマニズムも、根拠は薄っぺらで欺瞞に満ちている。
 なぜ人命は尊いか、説明できた哲学者を知らないと、P・フットは『道徳的相対主義』に告白している。
 哲学書を何百冊読んでも分からないことなのである。

苦悩の人類を明るく楽しく渡す大船

 人間に生まれたということは、ちょうど空と水しか見えない大海原に放り出されたようなものである。
 泳がなければ沈むだけ。
 みんな泳ぐしかないのだが、泳ぐ方角が分からない。
 とりあえず目的は、目先に浮かぶ丸太ん棒や板切れぐらいで、みな、一生懸命泳いでいる。

 政治、経済、科学、医学、芸術、倫理、道徳、一切の人間の営みは、大海での泳ぎ方と、丸太や板切れのすがり方であり、それ以外教えられているものがあるだろうか。

 だが、丸太や板切れは真の救いにはならない。
 やがて必ず裏切るものであり、最後すがる力も尽き果てて我々は、暗黒の海底深く沈淪していかねばならぬ。

 この絶望の淵にあって、親鸞聖人はかく断言されるのである。

「難思の弘誓は難度海を度する大船」(教行信証)

 阿弥陀仏の本願は、苦悩の人類を明るく楽しく渡す大船である、と。

 この本師本仏の弥陀の願船に乗ることこそが人生の目的であり、「よくぞ人間に生まれたものぞ」の生命の大歓喜に蘇生できる唯一の道なのである。

 

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