聞き誤ってはならぬ「雑毒の善」

親鸞会

一切凡小一切時の中に、貪愛の心常に能く善心を汚し、瞋憎の心常に能く法財を焼く。急作・急修して頭燃を灸うが如くすれども、衆て「雑毒・雑修の善」と名け、また「虚仮・諂偽の行」と名く。「真実の業」と名けざるなり。この虚仮・雑毒の善を以て、無量光明土に生ぜんと欲す、これ必ず不可なり。
(教行信証)

「全て人間の善は、欲や怒り、憎しみに汚染されているから、頭の火をもみ消すように努力しても、皆『雑毒の善』『虚仮の行』であり、まことの善とは言われない。そんな虚仮雑毒の善で浄土往生は絶対できないのである」

 親鸞聖人は、キッパリと断言されている。だがここで、聞き誤ってはならない。

「雑毒の善」と聞くと、しなくてもよいと思ったり、〝不純な気持ちでやるのは悪だ。やらぬほうがよい〟とまで誤解する人がある。

 自分に都合がよいからなおさらだ。ここに今日、浄土真宗が急速に衰退した原因の一つがある。

 人間の善は、仏眼からご覧になれば毒の雑じった他人だましだが、行う善はあくまでも善であって、悪ではない。やれば必ず「善果」が現れる。

 かつて水戸光圀が領内を巡視中のこと。孝行者は褒美にあずかると聞いて大の親不孝者が、チャンスとばかり、平素は虐待していた母親を背負って目立つ所に立っていた。全て承知のうえで光圀は、「ウソでもよい。偽善でもいい。今日だけでも、ああやって親を背負うことが大切なのだ」と側近を諭し、その者に褒美を取らせたという。どんな心であろうとも、善であることに違いはないから必ず善果が来るのである。

「雑毒の善」という言葉が強烈だから、「毒」だけが頭に残るのだろうが、「善」に間違いないのである。

 1日働いて1万円なら、5日で5万、100日なら100万円与えられる。原因が変われば結果も変わる。当然である。

 では、なぜ親鸞聖人は我々のやる善を「雑毒」と言われるのか。それは欲や怒り・愚痴などの心でやる善だから、そんな善では弥陀の浄土へ往生ができないからである。

 浄土往生するには「真実の業」でなければならぬ。我々の善は「真実の業」ではないから、浄土往生はできないと言われているのである。だが生活の一段は、どれだけ善に努力するかで善果が来るかどうかが決まるのだ。

〝雑毒の善といわれるから〟と、善に消極的であったり、悪にほこれば、不幸や災難の悪果ばかりがやってきて、この世から地獄になるのは当然である。

「善因善果 悪因悪果 自因自果」

の因果の道理を深信して、光に向かうのが真の親鸞学徒である。


 

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