親鸞学徒の本道 親鸞聖人の教えをひたすら開顕する (2/3)
線香花火で終わった理由
これら活動家たちの信仰運動は、当時、かなりの広がりを見せ、それなりの影響も及ぼしたが、長続きしていない。著作は残ってはいても、浄土真宗の興隆にならなかったのは、なぜなのか。
■ 親鸞聖人の教えに昏い
原因として、まず挙げられるのは、親鸞聖人の教えに昏かったことだ。
清沢満之は、親鸞聖人の教えに西洋哲学を持ち込み、後生を分からぬものと不問にして、“清沢教”にしてしまった。感化を受けた学者たちもこぞって、この“近代教学”を唱えた。
仏教は、後生の一大事に始まり、後生の一大事の解決に終わる。その要が抜けてしまっているのだから、仏法にならないのだ。
出版事業で真宗の立て直しを志した野依秀市も、
「漢文で書いたお経なんか一冊も読んだことはない」
と、教学を軽視し、
「これ(教行信証)を読んでも信仰のためにはならない」
とまで言っている。
「私は私なりの受けとりかたと、私の信仰からくる味わい方なり、感想なりをこれから語ってみよう」
と前置きし、『正信偈』を引用しては、
「こういうふうに考えてみた」
「私はこう解釈している」
「~と考えてもいいと思う」
という、自己流解説のオンパレード。これでは、親鸞聖人の教えではなく、野依個人の考えになってしまう。
覚如上人も、蓮如上人も、親鸞聖人の教えに精通され、
「聖人一流の御勧化の趣は~」
「親鸞聖人の勧めたまうところの一義の意は~」
と、手垢をつけず、正確に、ハッキリ伝えてくだされた。
浄土真宗とは、親鸞聖人の教え以外にはない。「私は~と思う」では、浄土真宗にならないのである。