親鸞学徒の本道 親鸞聖人の教えをひたすら開顕する (3/3)
■ 個人の体験ばかり語る
また、自分の体験ばかり語ったのも、線香花火で終わった要因といえるだろう。
彼らの文章の、
「我はかくの如く如来を信ず」
「私は是の如く動転せり」
などの見出しで分かるように、私事を縷々語っているのである。
一例を挙げれば、清沢満之の私塾「浩々洞」の一人・多田鼎は、
「私は思案に尽きて、身動きも出来ぬようになった。(中略)然るに二十七日の朝でありました。私は又同じような苦に突当っておった時に、(中略)御称名が口に現われました」
と、自分固有の体験話を述べた。
しかし、各人各様、空事・たわごとの体験話など、どうでもいいことである。
こんな話は、最初はもの珍しく聞けても、二度、三度と、聞けないだろう。救われたつもりの者から、それらしき体験談を幾ら聞かされても、ますます混乱するだけである。
覚如上人、蓮如上人が、ご自身の体験を一切語られず、常に、親鸞聖人の教えだけを徹底された布教姿勢とは全く違うものだ。
以上のことからも分かるように、親鸞聖人の教えに昏く、個人の体験ばかり話していた彼らは、消え去るしかなかったのだ。
誰がそれらの活動の影響を、今に見ることができるだろうか。
親鸞学徒は、明治の活動家たちの挫折の原因をよく知り、前車の轍を踏んではなるまい。
親鸞聖人のお言葉を示して、その意味を正確に、懇切丁寧に伝える、親鸞学徒の本道をひたすら進まねばならない。覚如上人のように、蓮如上人のように。