浄土真宗の正統は「平生業成」を説く
「死んだらお助け」が浄土真宗と思っていませんか?
「生きている今、救われる」のが本当の浄土真宗です(2/6)
親鸞聖人の教えは「本願成就文」の教え
親鸞聖人が善慧房との争いで、弥陀の救いは現在である根拠として出された
「若不生者 不取正覚」(若し生まれずは正覚を取らじ)
は、阿弥陀仏が18願に誓っておられるお言葉です。
弥陀が「必ず生まれさせる」と誓っておられるのは、「死んで極楽に生まれさせる」ことだと善慧房は誤解したのです。常識で考えれば、「死なねば生まれることはできない」のだから、救われるのは死んでからのことだと思うのも当然かもしれません。
それを親鸞聖人は、なぜ「救われるのは現在である」と断言されたのでしょうか。
阿弥陀仏の本願の正しい御心を知るには、それを解説なされたお釈迦様の「本願成就文」によらなければなりません。
「本願成就文」とはいかなるものか、親鸞聖人は主著『教行信証』に次のように記しておられます。
「横超」とは、すなわち願成就一実円満の真教・真宗これなり。(教行信証)
“弥陀の本願を明らかにせられた釈迦の「本願成就文」の教えは、「いつでもどこでも時空を超えて変わらぬ、完全無欠の教え」である”
弥陀の救いを明らかにされた、「本願成就文」の教えは、大宇宙唯一の真実にして、円満無類で欠け目のない教えであり、これこそが真実の宗教なのだと、親鸞聖人は言葉を尽くして絶賛なされています。
親鸞聖人より如信(聖人のお孫)、その如信上人より面授口決された覚如上人は、
かの心行を獲得せんこと、念仏往生の願成就の『信心歓喜乃至一念』等の文をもって依憑とす。このほか未だ聞かず (改邪鈔)
“それが弥陀の誓いの真実か、どうかの判定は、釈尊の「本願成就文」をもって基準とすると聖人は教えられた。だから「本願成就文」の教えのほか、私は親鸞聖人から聞いたことがない”
とおっしゃっています。
この覚如は、「本願成就文」の教え以外に、親鸞聖人から聞いたことがないとは、何と強い表現でしょうか。
釈尊の説かれた「本願成就文」の教え以外、仏教もなければ浄土真宗の教えもないということがお分かりになるでしょう。
「本願成就文」は、『大無量寿経』下巻に、漢字、40字で説かれている釈尊のお言葉です。
諸有衆生 聞其名号
信心歓喜 乃至一念
至心廻向 願生彼国
即得往生 住不退転
唯除五逆 誹謗正法
住職の意外な言葉「御名号こそ浄土真宗の正しい御本尊」|親鸞会