浄土真宗の正統は「平生業成」を説く
「死んだらお助け」が浄土真宗と思っていませんか?
「生きている今、救われる」のが本当の浄土真宗です(6/6)
本願寺門主が「平生業成」を解説するも……
『歎異抄をひらく』発刊の翌年に本願寺の門主・大谷光真氏が発行した『愚の力』には、「平生業成」についての記述が見えます。しかし、そこに親鸞聖人の教えはありませんでした。
浄土真宗には、「平生業成」という言葉があります。
往生は普段から決まっている、死ぬ間際に決まるのではない、という教えです。
(『愚の力』82ページ)
この文章を読めば、誰もが
「我々の極楽往生は【生まれた時から】すでに『決まっている』」
と理解するに違いありません。
「平生の一念に救いたもうのが弥陀の本願」という『教行信証』はじめ多くの御著書に著されている親鸞聖人の教えを説かず、意図的に誤解させるように書かれています。
「みんなすでに助かってしまっている。死ねば誰でも極楽に往ける」
これを言いたいがために、「平生業成」という言葉を使いながら、親鸞聖人、蓮如上人の御教示に反することを言ったり書いたりしています。
「死んだら極楽」
のみを印象づけようとする以前からの体質は何も変わらず、親鸞聖人が明らかになされた平生一念の弥陀の救いは説かれないままです。
「如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
骨を砕きても謝すべし」
の親鸞聖人の「恩徳讃」は、弥陀の本願にこの世から未来永遠に救われた、知恩、報恩の熱火の法悦です。
高森先生は常に、黒板に縦と横の線をかかれ、縦の線を指されて、
「ここが決勝点です。この一念に、絶対の幸福に救われるのです」
と、平生に完成する弥陀の救いを教えておられます。
親鸞聖人が90年のご生涯、「本願成就文」によって明らかにされた「平生業成」の教えこそ、私たちが聞かなければならない教えであり、伝えなければならない真実なのです。
住職の意外な言葉「御名号こそ浄土真宗の正しい御本尊」|親鸞会