「往生の一路」を残した 法霖 自決の真相 (4/6)
儒学者も驚嘆した一向専念の徹底
神の不拝の厳しさは、親鸞聖人晩年の善鸞義絶事件でも明らかだ。
神に仕えて祈祷し、他人の吉凶を占ったりして人々を迷わせた長子・善鸞を、決して許すことはできぬと、聖人は悲憤の涙とともに義絶なされたのである。
この「一向専念無量寿仏」の教化は、500年後の江戸中期の親鸞学徒にも徹底されていたと見られる。
ちょうどこの時期の有名な儒学者・太宰春台は、著書でこう驚嘆している。
「一向宗の門徒は、弥陀一仏を信ずること専にして、他の仏神を信ぜず、如何なる事ありても、祈祷などすること無く、病苦ありても呪術・符水を用いず、愚なる小民・婦女・奴婢の類まで、皆然なり、是親鸞氏の教の力なり」
(『聖学問答』)
親鸞学徒は、一切の迷信行為をせず、弥陀一仏以外は絶対に礼拝したり信じたりしなかったのである。
しかし、いずれの世、いずこの里でも、時の権力や我欲のために、真実の仏法は常にネジ曲げられてきたのも事実だ。
仏法を破壊する「獅子身中の虫」が、末法になると必ず現れるのだと、釈迦は経典に予言なされ、親鸞聖人はそれをご和讃で悲嘆なされている。
「造悪このむわが弟子の
邪見放逸さかりにて
末世にわが法破すべしと
蓮華面経にときたまう」 (正像末和讃)
邪見とは因果の道理を無視すること、放逸とは怠けて正法を説かなくなることである。
世間大衆の神信心に幻惑されて、正法をネジ曲げ、わが身の安全を図った堕落坊主の姿である。