【親鸞聖人750回忌 講演】
弥陀より賜る二種の廻向
「寄せかけ寄せかけ」大悲のままに (4/6)
「助けたい心は全くない」?
こういうお言葉を聞くと、親鸞聖人はすごい、こんな果てしなき衆生済度の活動をされている方が他にあろうか。やっぱり聖人は世界の光だと、誰でも思うでしょう。
ところが、その親鸞聖人が、驚くべきことを仰っています。
「浄土真宗に帰すれども
真実の心はありがたし
虚仮不実のわが身にて
清浄の心もさらになし」
(悲歎述懐和讃)
親鸞聖人が仰る「浄土真宗」とは、真実の仏教、阿弥陀仏の本願のことですから、「浄土真宗に帰すれども」とは、阿弥陀仏の本願に救われたけれども、ということです。弥陀に救われても、真実の心も清浄の心も全くない。苦しむ人を捨てておけない、助けてあげたいの心など、親鸞には微塵もない、と言われているのです。
「小慈小悲もなき身にて
有情利益はおもうまじ」
(悲歎述懐和讃)
無慈悲な親鸞、他人を助けたい心など全くない、とも仰っています。
あれ?どちらがホント?と思うでしょう。
『御臨末の御書』では、「苦しむ人がいる限り、助けずにおれない。浄土へ往っても、すぐに衆生済度に戻ってくる」と言われているのにここでは、「衆生済度の心など全くない」と仰る。
矛盾としか思えないでしょうが、ここが、親鸞聖人の教えの素晴らしいところなのです。聖人が「世界の光」と仰がれるゆえんは、実にここにあるのです。
>>弥陀は与えるためだけに