【親鸞聖人750回忌 講演】
弥陀より賜る二種の廻向
「寄せかけ寄せかけ」大悲のままに (6/6)
燃える恩徳讃も賜り物
「往相」も「還相」も、南無阿弥陀仏の六字に収められた大功徳ですから、弥陀に救われた一念に、二つ同時に賜るのです。
ここで大事なのは、阿弥陀仏に救われて往生一定になったから、私に恩徳讃の心が起きるのではないということです。私には救われても、喜ぶ心も、ご恩を感じる心もない。「身を粉に、骨砕きても」の恩徳讃の心など、私の中からは出ようがないのです。燃える恩徳讃は、ひとえに弥陀の「還相廻向」の賜物以外にありません。
だから、「自分さえ助かればいい」ということにはならない。そんな人は、弥陀からまだ二つのものを頂いていない、ということです。
往生一定に救われたなら、「還相廻向」の真似事でもせずにおれなくなるのです。それは、親鸞聖人のご一生を振り返れば、明らかでしょう。
『恩徳讃』で貫かれ、衆生救済に生き抜かれた聖人ですが、それでも御恩報謝は相済まぬとご臨末に、一度は浄土へ帰るが日帰りだ、寄せかけ寄せかけ、この世に苦悩の人がいる限り、十方衆生が絶対の幸福に救われ切るまで、親鸞は何度でも戻ってくるぞ、と仰る。
この「往相」も「還相」も、全て阿弥陀仏からの頂きものなのです。
いかに弥陀の救いは広大無辺であることか。この弥陀の二種の廻向を、「十方にひとしくひろむべし」と一生涯、万人に明らかにされた方が親鸞聖人ですから、世界の光と讃仰せずにおれないのです。