【親鸞聖人750回忌 講演】
弥陀より賜る二種の廻向
「寄せかけ寄せかけ」大悲のままに (5/6)
弥陀は与えるためだけに
親鸞聖人は主著『教行信証』冒頭に、次のように仰っています。
「謹んで浄土真宗を按ずるに、二種の廻向有り。
一には往相、二には還相なり」
(『教行信証』教巻)
浄土真宗とは、真実の仏教、阿弥陀仏の本願のことだから、「謹んで按ずる」と言われ、「弥陀の本願には、二種の廻向あり」と断言されています。廻向とは「与える」こと。阿弥陀仏が私たちに与えてくださるものが二つある、ということです。
阿弥陀仏のお力を他力といいますから、これを他力廻向といいます。この「弥陀の二種の廻向」を明らかにされているのが、親鸞聖人の『教行信証』六巻なのです。
では二つのものとは何か。
一つは「往相」。これは、「往生浄土の相状」のことで、いつ死んでも娑婆から浄土へ往ける、往生一定の身にする働きです。弥陀に救われると、極楽往き間違いない身になり、絶対の幸福、無碍の一道に生かされるのは、この「往相廻向」のお力です。
二つ目の「還相」とは、「還来穢国の相状」で、死んで浄土に往生してから、衆生済度のために、この娑婆に還って来る働きです。
この二つのものを、弥陀から賜ったことを、弥陀に救われたというのです。
こうも、和讃されています。
「如来の作願をたずぬれば
苦悩の有情をすてずして
廻向を首としたまいて
大悲心をば成就せり」
(正像末和讃)
「如来の作願をたずぬれば」とは、阿弥陀如来が本願を建てられた御心をお聞きすると、ということ。
それは、
「苦悩の有情をすてずして」
有無同然、今日あって明日なき無常の幸せしか知らない我々を、弥陀は見捨てることができなかった。何とか人間に生まれてよかったという絶対の幸福にしてやりたいと本願を建立してくだされたのだ。
「廻向を首としたまいて 大悲心をば成就せり」
それには、私たちに与えることだけを目的に、南無阿弥陀仏の大功徳を完成してくだされた。
助けても喜ばぬ者、お礼を言う心さえもないヤツが我々だとお見抜きだから、弥陀の救いは無条件です。私たちに何も要求されず、ただ南無阿弥陀仏を与えるだけで絶対の幸福に助けようとされているのが、弥陀の大慈悲なのです。
私たちも、この世の幸せが欲しければ、与えることだけ考えればいい。取ること、もらうことばっかり考えていてはダメです。難しいことですが、阿弥陀仏の真似でもさせていただきましょう。
※【仏語解説】
廻向…差し向ける。与える。
往相…往生浄土の相状。
弥陀の本願に救われて、往生一定の身になったこと。
還相…還来穢国の相状。
弥陀の本願に救われ、浄土往生した人が、衆生済度(苦しんでいる人々を
救うこと)のために娑婆世界(穢国)に還って来ること。(恩徳讃)
>>燃える恩徳讃も賜り物