後生の一大事が問題にならねば、「雑行」は絶対に分からない (6/6)
まとめ
1 「雑行」:自力の心でやる諸善万行
「雑行を捨てよ」=「自力の心を捨てよ」
(「善をするな」という意味では決してない)
2 善をやっていない人に、「雑行を捨てよ」と
仰るはずがない。
・なぜ善をしようとしないのか
⇒後生の一大事が問題になっていないから
・後生の一大事がなぜ問題にならぬのか
⇒三世因果の道理が教えられていないから
3 阿弥陀仏は十九願(要門)で善を勧めておられる。
三願転入して、十八願の世界に救われた一念に、雑行が廃る。
「雑行をなげすてて」「ふりすてて」と仰る『御文章』のご文
三帖目四通
「『この阿弥陀如来をば、如何して信じまいらせて、後生の一大事をば助かるべきぞ』なれば、何の煩もなく、もろもろの雑行・雑善をなげ棄てて」
三帖目六通
「雑行・雑善をなげ捨てて、専修専念に弥陀如来をたのみ奉りて」
五帖目十通(聖人一流の章)
「聖人一流の御勧化の趣は、信心をもって本とせられ候。その故はもろもろの雑行をなげすてて」
五帖目十五通
「諸の雑行・雑修・自力なんどいう悪き心をふりすてて、一心に深く弥陀に帰する心の疑なきを真実信心とは申すなり」
五帖目十七通
「何のようもなく、阿弥陀如来を深くたのみまいらせて、もろもろの雑行を振り棄てて」