徹底検証 三業安心と十劫安心
『顕正』と三業安心
柏原祐義氏の“研究成果”
かつて、高森先生を三業安心だと攻撃してきた者がいた。
本会が産声を上げたころ、十劫安心を破り、信一念でこの世から未来永遠の楽果を受ける真実信心を、開顕し続けておられた。
ところが、東本願寺の学者・柏原祐義氏が、パンフレットで8項目にわたり事実無根の中傷をしてきたのだ。
柏原氏は、東本願寺の学階の最高位である“講師”で、教学安心問題の責任者であった。
高森先生は『顕正』を執筆なされ、これを粉砕、柏原氏は一言の反論もできなかった。
高森先生の説法を自らは一度も聞かず、悪意に満ちた一方的な情報だけで三業安心だと早合点したのである。
慟哭念仏したから獲信?
柏原氏の非難は、高森先生に対しては的外れであったが、三業安心の者たちには当たっていた。
柏原氏の非難から、三業安心の特徴2項目を挙げてみよう。
(1)信心を得させるようにいって殊更に個人教誨を強い聞法者の機を責めて精神を錯乱せしめ、聞法者が感情の興奮によって慟哭念仏することを獲信した証拠であると認定する。
彼らは、後生の解決を焦る人に近づき、
「信心を頂くコツがある」
「私たちの所へ来なさい。早く信心決定できる近道を教えてあげる」
と言葉巧みに勧誘する。
そして、ことさら「個人教誨」し、「機を責める」。無常と罪悪を責め立て、人工的に後生の一大事の恐怖を植えつけ、あおるのである。
その末に、相手が感情の興奮によって泣いたり喜んだり躍ったり、激しく念仏したりすると、獲信したように言う。
「あれだけ泣いて念仏したんだから、大丈夫」「躍り上がって喜んだから、それでいい」と、三業で信心を認定するのだ。
(2)右の如く慟哭念仏することを獲信の証なりといい、聞法者と同座する仲間の者も芽出度い芽出度いという。(中略)
また、こうした認定を得た聞法者のうち、自己批判をなし得ない者は我こそ信心を得たりという慢心を起こし、自然に一味以外の他の聞法者を軽蔑し、延いては一般の僧職者をも毀損するようになる。
「激しく念仏したから獲信したんだ」と言い、同席した者も、「めでたい。めでたい」と言うので、本人も獲信したつもりになる。
さらに、簡単に獲信できたように思うから、うぬぼれて、他を見下し、
「われこそ信心を獲たり」
「お前はまだ獲信できんのか」
などと平然と言うようにもなる。
このように柏原氏は、非難の中で、端的に、三業安心の特徴を突いている。