徹底検証 三業安心と十劫安心
歴史の教訓「三業惑乱」
大学者も誤った根深い問題と平成学徒の使命
二百年前(江戸時代後期)、浄土真宗本願寺派(西本願寺)に、「三業惑乱」という大事件が起きた。
当時の教学上の最高責任者「能化」が、三業安心を公然と唱えたことが原因であった。
越前(福井県)を中心に、全国にはびこる十劫安心を正すため、本願寺の六代目能化・功存は、
「信心獲得しなければ、後生の一大事助からぬ」「弥陀をたのまねば救われぬ」と強調した。
ところが今度は、「どうしたら獲信できるのか」「たのむ一念とはどんなことか」と求める声が上がる。
功存が病没した後を継いだ七代目・智洞は、
「『弥陀をたのむ』とは、阿弥陀さま、どうかお助けくださいと、一心に心で念じ、口で言い、体で礼拝してたのむことだ」
と言いだした。
護法に燃ゆる地方の学者が決起し、裁判、投獄、流血など十年の騒乱の末、ついに本願寺が敗北を喫したのである。
惑乱の反動で、自来、浄土真宗では「たのむ一念」を毛嫌いし、信心獲得を説かなくなった。
「死んだらお助け」の十劫安心に逆戻りし、明治以降、衰退の一途をたどって今日に至っている。
平成の親鸞学徒は、まさに真宗史の転換点にいる。
三業惑乱は決して昔話や他人事でなく、能化でさえ間違えた根深い問題が根底に潜んでいる。
無量の過去から迷い続けてきた私の魂の重大事として、この大事件を熟知せねばならない。