なぜ阿弥陀仏が最尊なのか
阿弥陀仏は、最尊の仏だからすべての仏や菩薩が、阿弥陀仏を称讃し礼拝するのだとお聞きしますが、その根拠は、どこにあるのでしょうか。
この地球に現れた仏は、釈尊ただお一人であります。その釈尊が35歳で成仏してから、80歳で亡くなられるまでの45年間の教えが仏教ですが、その目的は阿弥陀仏の本願一つでありました。
これを親鸞聖人は『正信偈』に、「釈尊が、この世に生まれられたのは、ただ弥陀の本願を説かんがためであった」と仰せになっています。
釈尊は、弥陀の使いとしてこの世に現れ、弥陀の本願を説かれたのです。
親鸞聖人の仰せの通り、釈尊は、7千余巻の一切経に阿弥陀仏ばかり褒め称えていられます。
無量寿仏の威神光明は最尊第一にして諸仏の光明の及ぶこと能わざる所なり(大無量寿経)
“阿弥陀仏のお力は、大宇宙の仏の中で最高であり、諸仏の力のとても及ばぬ、ずば抜けたものである”
無量寿仏の威神極まり無し。十方世界の無量無辺不可思議の諸仏如来、彼を称歎せざるはなし(大無量寿経)
“大宇宙の無数の諸仏方で、阿弥陀仏を絶讃しない仏はないのである”
とか、
諸仏の中の王なり、光明の中の極尊なり(大阿弥陀経)
“阿弥陀仏は、十方世界の諸仏の王である。そのお力は、群を抜いて勝れたものである”
では、なぜ阿弥陀仏をこのように、一切の諸仏が称讃し礼拝するのか。
その理由は『般舟経』に明らかにされています。
三世の諸仏は、弥陀三昧を念じて、等正覚(仏)に成る
“すべての仏は、阿弥陀仏のお力によって仏になったのである”
これは一切の諸仏は、最後は、阿弥陀仏のお力によって仏になったということです。
ですから、あらゆる仏は阿弥陀仏を本師本仏(※1)と崇めるのは当然なのです。
三世十方の諸仏(※2)でさえもそうなんですから、ましてや私たちは、弥陀一仏を一向に信じ奉るより、真の幸福になる道は毛頭ないことをよく知らなければなりません。
※1)本師本仏……大宇宙の無数にまします仏の師匠。
※2)三世十方の諸仏……三世十方とは、大宇宙。その大宇宙にまします無数の仏のこと。