三大諍論(じょうろん) 3
体失不体失往生の諍論 3
「善慧房殿、それは貴方の誤解です。弥陀が若不生者と、生まれさせると誓われたのは肉体のことではないのです。心のことなのです。後生暗い心を明るい心に、後生不安な心を大安心に生まれさせるとのお誓いなのです。
肉体の医者でさえ、あなたの腹痛はこの世ではどうにもならぬから、死んだら治してあげようという医者はありません。いま溺れている者に、土左衛門になったら助けるという人がありましょうか。
ましてや大慈大悲の阿弥陀仏が、この世は助けられぬ、死んだら助けると言われるはずがないじゃありませんか」
理路整然とした聖人の快答に、善慧房は顔色なく一言の返答もできませんでした。
明らかな仏智を体得し、絶対の幸福を獲ていられた聖人は、真実を開顕するために、傍若無人に信念を発揮せずにおれなかったのでありましょう。
信心同異の諍論
親鸞聖人の三大諍論の第二は、「信心同異の諍論」と言われています。あるいは信心一異の諍論ともいわれます。
これは『御伝鈔』にもありますように、こともあろうに法然上人はじめ、聖信房、勢観房、念仏房などの錚々たる人の居並ぶ前で、
「法然上人のご信心も、親鸞の信心も全く異なったところはございません」
と、無遠慮に聖人が仰ったことからはじまった諍論でした。
この聖人の信心平等宣言は、聖信房や勢観房らには、まさに青天のへきれきであったに違いありません。
当時、法然上人と言えば、智恵第一、勢至菩薩のご化身と尊崇されていた方です。その法然上人の信心と同じになれるなどということは、誰も夢にも考えられぬことであったからです。
当然、法友らから猛反発が起きました。