承元の法難 2
まず第1にわが国にはすでに仏教の宗派が8宗もあるのだから、新たに浄土宗なるものを立てる必要は全くないのである。
それなのに法然らは天皇の許可も得ずに一宗を名乗っているのは僣越至極のことである。
第2には、法然らは阿弥陀仏の救いの光明が専修念仏者のみを照らし、他の仏教者にはそれて全く当たっていない絵図をわざと描き、それをもてはやしているのは大変けしからぬことである。
3番めには、法然らは阿弥陀仏だけを信じて供養し、仏教徒にとって最も大切な釈迦牟尼仏を軽んじて礼拝供養しないのは本末顛倒も甚だしい。
その4には、法然らは他宗を誹謗して、仏像を造ったり寺や塔を造るという善行をやっている者たちを、あざけり謗っていることは言語道断の振る舞いといわねばならぬ。
第5には、日本では古来仏教と神道とは固く結びついている。だからこそ伝教や弘法のような高僧たちも、みな神々をあがめ尊んできたのである。それにもかかわらず法然らは、「もし神を拝めば必ず地獄に堕ちるぞ」と言いふらし世人を迷わせている。もし法然らの言が正しければ、伝教や弘法は地獄に堕ちていることになる。法然は伝教や弘法たちより偉いとでも思っているのだろうか。このような暴挙は即刻禁止させないと大変なことになる。
第7には、念仏というのは本来、「阿弥陀仏のことを心の中で念じる」ことなのに、法然らは称えさえすればよいと思って、口で称えることを念仏だと教えている。とんでもない仏教の曲解である。
第8に、彼らは、「囲碁や双六、女犯や肉食、何をやってもかまわぬ」といって、仏法の戒律を軽蔑している。その上、「末法の今日、戒律を守る人間なんて街の中に虎がいるようなものだ」と暴言し、尊い仏法を破壊している。
第9の非難は、仏法と王法とはちょうど、肉体と心の関係で完全に一致すべきであるのに、念仏者たちは他の諸宗と敵対し我々と協力しようとはしない。このような排他的独善的な邪宗は1日も早くこの世から抹殺しなければならない。
そして最後に、「このたびのように全仏教徒が一丸となって訴訟するという前代未聞のことを致しますのは、事は極めて重大だからであります。どうか天皇のご威徳によって念仏を禁止し、この悪魔の集団を解散し法然と、その弟子たちを処罰していただきますよう興福寺の僧綱大法師などがおそれながら申し上げます」と結んでいます。
朝廷の権力者が恐れるのは、延暦寺や興福寺の僧兵による強訴でありました。大寺院は、僧兵を動かして、自らの要求を、朝廷や公家に無理やり認めさせようとしたのです。
これら、激しい抗議行動が続く中、朝廷にあっては、九条兼実公はじめ、法然上人支持派の運動で、なんとか穏便に処理されていましたが、反対派は、常に、弾圧の機をうかがっていました。そういう緊張した空気の中、突発したのが、松虫鈴虫事件だったのです。
比叡山や興福寺は、この事件をもとに攻撃を強化しました。怒り狂った上皇は、これら旧仏教と結託し、法然門下に弾圧を加えました。
念仏は停止。一向専念無量寿仏の布教は禁止。さらに、法然上人は四国・土佐へ流刑。親鸞聖人には死刑が宣告された。しかし、九条兼実公の並々ならぬ計らいにより、越後国・直江津、今の新潟県上越市へ流刑ということになったのであります。
親不知子不知の難所
流罪の聖人は、この海岸を命がけで進まれた
新潟県上越市の居多ケ浜。聖人はこの地に上陸された