三大諍論(じょうろん) 4
信心同異の諍論 2
「親鸞殿、あなたはいかに優れていられようとも、少し口が過ぎはせられぬか。深智博覧、智恵第一のお師匠さまの信心と同一とは驕慢至極であり、うぬぼれも甚だしいではござらぬか。われらの恩師を冒涜する暴言でござろう」
と、激しく難詰致しました。
朝夕、ともに法然上人の説法を聞いておっても、しっくり合わないお言葉が、しばしば聞こえて参ります。
法然上人が泣き泣き報恩蔵に入って5回も一切経を読破しても、とても助かり切らぬ自己に驚き、極重の悪人が極善無上の妙法に生かされた一念の体験を話されても、彼らには、そのような鮮かな一念の体験がありませんから、しっくり合うはずがありません。
法然上人の告白される血を吐く三品の懺悔もなければ、飛び立つような大慶喜心もありません。
これはなぜだろうと思ってはみますが、お師匠さまと一味になれるはずがないと思い込んでいますから、さすがにお師匠さまは智恵第一のお方だ、ただ人ではないわい、我々のとても及ぶところではないと上人を雲の上に奉って、ありがたがっていた連中ですから、親鸞聖人のお言葉は大変な驚きであったのです。
その時聖人は、おだやかに、
「皆さん、お聞き違いくださいますな。この親鸞は智恵や学問や徳がお師匠さまと同じだと申しておるのではありません。もし、智恵や学問が同じだとでも言ったのなら、あなた方のご非難もごもっともなれど、さようなことは親鸞、夢にも思ったことはございません。ただ、阿弥陀如来より賜った他力金剛の信心1つは、微塵も異ならぬと申したのでございます」
と断固として言い切られました。
この激しい信心の諍論に対して法然上人のご裁断は、実に快刀乱麻を断つ、明快そのものでありました。