三大諍論(じょうろん) 6
信行両座の諍論
第3の聖人の諍論は、信行両座の諍論といわれているものです。
これは、せっかく、聖道自力の仏教が方便であることを知らされて、多生にもあい難い阿弥陀仏の本願にあい、念仏を称えていてもその念仏に他力と自力があることを知らないで、ただ念仏さえ称えておれば助かるのだと思っていた法友たちに、自覚の警鐘を乱打されたのが、この信行両座の諍論となったのです。
ある時、親鸞聖人が、
「お師匠さま、親鸞はどんな不思議な宿縁がございましてか、お師匠さまに会わせていただき、聖道自力の方便の仏教から離れ、釈迦出世の本懐である弥陀の本願にあわせていただき、絶対の幸せ者にさせていただきました。
これひとえにお師匠さまのご恩のたまもの、わが身の幸福は何ものにも比べようがございません。そのうえ、380余人もの法友に恵まれ、ともに朝夕、尊いご教導を頂いております。
袖ふれ合うも多生の縁といわれますが、何と因縁の深い、懐しい方々でございましょうか。
それにつけてもお師匠さま、この世だけの友達では情けのうございます。あまたある法友の中で、真に現当二益の絶対の幸福を得て、未来永遠に平等の真証を得らるる方が、何人ぐらいあるだろうかと案じられてなりません。
お許しいただければ、この親鸞、皆さんの信心を確かめとうございます。いかがなものでございましょうか」
と、法然上人の御前に手をつかれました。
「親鸞、そなたもそのことを案じ煩っていたのか。この法然も常に心にかかっていたことだ。しかし信心は心の問題だからなかなか表面だけでは判断が難しいが、どのようにして確かめようとするのか」
と、尋ねられた時、親鸞聖人はさも満足そうに、
「私に1つの名案がございます。私に任せていただけましょうか」
「けっこうなことだ。それこそ本当の友情というもの。そなたの思うとおりにやってみられるがよかろう」