二益法門とは、どんなことか
浄土真宗は二益法門であるとよく聞きますが、どんなことでしょうか。
『御文章』に、「浄土真宗の教えは一益でしょうか、二益でしょうか」と尋ねた人に、蓮如上人は、一益ではない、二益であると答えられて、親鸞聖人の教えは、現当二益の教えであることを明らかにされています。
二益とは、二つの利益ということです。
現世の利益と、当来(来世)の利益をいうのです。略して現・当二益といわれます。
現世の利益とは、現在、ただ今の利益のことで人生での幸福をいいます。
「人生は苦なり」と釈尊が道破されましたように、科学や医学、文明は長足の進歩を遂げましたが、私たちの苦悩は少しも減ってはいません。毎年、自殺者は三万人を突破し続けています。みんなが苦しみ悩んでいることが分かります。
釈尊は「有れば有ることで苦しみ、無ければ無いことで苦しむ」とおっしゃって、「金や物の有無に関係なく人々は苦しんでいる。その元凶は、無始より私たちを苦しめてきた、無明長夜の闇といわれる心である」と教えられています。この無明長夜の闇を破り、私たちを絶対の幸福にできるのは、阿弥陀仏の創られた南無阿弥陀仏の名号しかないと、親鸞聖人は教示されています。
無碍光如来の名号と
かの光明智相とは
無明長夜の闇を破し
衆生の志願をみてたまう(高僧和讃)
“阿弥陀仏の名号(南無阿弥陀仏)には、苦しみの元凶である無明長夜の闇を破り、私たちを絶対の幸福にする働きがある”
大悲の願船に乗じて、光明の広海に浮かびぬれば、至徳の風静かに、衆禍の波転ず(『教行信証』行巻)
“大悲の願船に乗った人生は、千波万波きらめく明るい広海である。順風に帆をあげる航海のように、なんと生きるとは素晴らしいことなのか”
念仏者は無碍の一道なり(『歎異抄』第7章)
“南無阿弥陀仏の名号を頂いた念仏者は、一切が障りとならぬ、絶対の幸福者である”
これが現世の利益(幸福)です。
現世が絶対の幸福に救われている人は、娑婆の縁つきた暁は、弥陀の浄土へ往生し無量寿・無量光の弥陀同体(※)の仏に成り、思う存分、自由自在に衆生済度に活動できると教授されています。これを当来の利益というのです。
しかしこれは、あくまでも現世の利益を頂いている人のことです。
「この世はどうにもなれん。死んだらお助け」と、現・当二益の親鸞聖人の教えを、一益と誤解している人は、この世も未来も助かりませんから、現・当ともに無益になります。
現・当二益の尊い教えを聞きながら、この世はどうにもなれぬと、現益を獲ることを忘れて、当益だけを夢みていてはもったいない限りです。
※弥陀同体……阿弥陀仏と同じ仏の覚りのこと。