人生の目的を明示
「難思の弘誓は、難度海を度する大船」(教行信証 総序)
「難度海」とは、生きていく苦しみの人生を海に例えて言われたものです。
空と水しか見えない海で、押し寄せる苦しみの波に翻弄されながら、夫や妻、子供、金や財産、地位や名誉などの丸太ん棒や板切れ求めて、必死に泳いでいるのが私たちではないでしょうか。
何かを頼りにし、あて力にしなければ生きてはいけないからです。
しかし、風や波に悩まされたり、すがった丸太ん棒に裏切られ、潮水のんで苦しんでいる人、おぼれかかっている人、あるいは溺死した人もおびただしい数にのぼります。
そんな人たちに、懸命に泳ぎ方のコーチをしているのが、政治、経済、科学、医学、芸術、文学、法律などでしょう。
ところが、
「どこに向かって泳ぐのか」
「なぜ、生きねばならないのか」
肝心な泳ぐ方角、人生の目的が明らかにされているでしょうか。
何のために生まれてきたのか、何のために生きているのか、なぜ苦しくとも生きねばならないのか、だれも知りません。
行く先を知らずに泳いでいる人は、やがて力尽きておぼれるだけです。目的を知らずに生きている人は、死ぬために生きているようなものです。死を待つだけの人生は苦しむだけの一生に終わります。
ポプラ 北海道・美瑛町
私たちは決して苦しむために生まれてきたのではありません。生きているのでもありません。
すべての人の願いは、苦しみ悩みから解放されて、いかにこの難度海を、明るく楽しく渡るかに尽きます。
そんな私たちに、人生の目的を明示されたのが親鸞聖人であります。
「難思の弘誓は、難度海を度する大船」
「苦しみの波の絶えない人生の海を、明るくわたす大船がある。その船に乗り、未来永遠の幸福に生きるためである」
答えは簡潔で鮮やかです。
難思の弘誓とは、大宇宙にまします諸仏の師匠である本師本仏の、阿弥陀如来の想像を絶するお約束のことです。
したがって冒頭のお言葉は、
「阿弥陀如来の本願は、苦しみの波の絶えない人生の海を、明るく楽しくわたす大きな船である。この船に乗ることこそが人生の目的である」
との確言であります。
苦しみの波の果てしない海に、永らくさまよいつづけてきた私たちを、必ず乗せて渡してくださる、救助の大船の厳存と、方角を明示されているのが、『教行信証』であり、親鸞聖人なのです。