更新履歴(2009−2010)
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五劫思惟は誰のため
私たち親鸞学徒は、弥陀の願意を親鸞聖人が微塵の計らいも入れず開顕なされた三願転入のご教導を、決して踏み外してはならない。(2010.12.9)
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【マンガ】「秘事堂ボウル 電源争奪戦」
棺桶を担いで迷海が秘事堂に登場。棺の中身は『歎異抄をひらく』とテレビ座談会の機材一式だった。一方、スガルは悪口大臣に捕らえられ七重の獄に。(2010.12.9)
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往生の一大事を遂げよ ~聖人一流の章~
蓮如上人の書かれた『御文章』の中で、最も親しまれているのが「聖人一流の章」である。短い文章に、親鸞聖人の教えのすべてが凝縮されているからだ。(2010.12.3)
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【マンガ】「大王の座談が大混乱」
「雑行を捨てよ」を、善を捨てよと誤解するKKK団。本太郎にそこを突かれて逃走するが、刺客となった迷海に本太郎の命を狙わせる。(2010.11.26)
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一切の滅びる中に 滅びざるまこと
一切の滅びる中に、唯一つ滅びない真実は「弥陀の本願のみ」であると親鸞聖人は教えられている。弥陀の本願は、どんな人も必ず絶対の幸福に摂め取り、永久に捨てない誓いである。(2010.11.23)
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【マンガ】「刺客となった迷海」
鼻高山で、本太郎と体験至上邪義のKKK団が対決。KKKは「雑行を棄てよ」のお言葉を根拠に「善の勧め」を非難。本太郎は、彼らの「雑行」の聞き誤りを正す。(2010.11.14)
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真宗の正しい御本尊 弥陀より一念で賜る名号
親鸞聖人が生涯、御本尊として尊び、礼拝なされた南無阿弥陀仏の御名号こそ、真宗の正しい御本尊である。浄土を願う親鸞学徒にとって、最も大事な御本尊とは、南無阿弥陀仏の御名号なのである。(2010.11.8)
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八万四千の法門は すべて弥陀(本師)の19の願意
弥陀の救いに導くための方便、すなわち"通過点"の教えを、"終点"と誤解したのが「聖道門仏教」なのです。お釈迦さまの真意は弥陀の本願(18願)ただ一つ。親鸞聖人はそれを、『一念多念証文』に「凡そ八万四千の法門は、みなこれ浄土の方便の善なり」と教えられています。(2010.11.5)
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【マンガ】「聞き誤られた雑行」
体験至上邪義のKKK団と本太郎が、鼻高山で法論の一騎打ちに。善の勧めを「諸行往生」と非難する論敵に、本太郎の破邪の利剣が振るわれた。(2010.10.30)
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釈迦一代の教えは 弥陀の方便の善なり
「八万四千の法門」とは釈迦一代の教え、仏教をいう。その教えは、万人に「後生の一大事」が厳存することと、その「解決方法」の二つである。ゆえに仏教は、後生の一大事に始まり、その解決で終わるのだ。(2010.10.29)
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仏教を聞く目的は何か
仏法を求める目的は生死の一大事、即ち後生の一大事の解決をする為です。仏教の内容も、総ての人々に生死の一大事、後生の一大事のあることを教え、その解決の方法を教示なされたものばかりです。(2010.10.21)
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仏教でいうジゴクとは
ジゴクというのは中国の言葉で、釈尊は印度の方ですから、印度の言葉でナラカと仰有いました。ナラカということは、私達に分かる言葉になおしますと「苦しみの世界」ということです。ジゴクは、この世にも死後にもあると教えるのが仏教です。(2010.10.21)
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往生の大事 一念に決する弥陀の救い
「仏願の生起・本末」の「仏願」とは阿弥陀仏の本願である。それはどんな者を相手に誓われたお約束か。苦悩にあえぐ全人類を、われ一人救わんと奮い立たれた弥陀が、どのように本願を建てられ、結果どうなったかを「生起本末」と言われている。(2010.10.19)
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【マンガ】「決戦!鼻高山」
体験島の者たちは迷海を秘事堂に閉じ込め、毒牙にかけてしまう。さらにその迷海を餌に、本太郎を鼻高山へとおびき出した。(2010.10.19)
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人類の迷信を破り龍樹菩薩殉教す
死んだらどうなるか。この疑問に答える人類の思想を、仏教では「有無の二見」と大別し、どちらも外道と排斥する。(2010.10.8)
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【マンガ】「迷海惑乱」
体験島に連れ去られた迷海を助けにきた本太郎は、襲いかかる敵を次々と倒し、スガルを捕らえる。一方、迷海は彼らの拠点で散々問い詰められていた。(2010.10.8)
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【マンガ】「スガルの改心」
救われる近道を説くという体験島へ連れていかれた迷海は、体験談と「善を捨てよ」という話を聞かされていた。(2010.9.10)
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「煩悩の喜び」と「弥陀の救い」
踊躍歓喜の心が無く、早く浄土へ往きたいとも思わないのは、どうしてでしょうか。率直な問いに、「唯円、おまえもか。親鸞も同じだ」と、虚心坦懐に答えられている。『歎異抄』9章に記されている対話である。(2010.9.10)
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苦しい息の中から、夫は懸命に仏法を伝えておりました
「元山家には世間で言うような財産はないけれど、仏法という最高の財産がある」というのが主人の口癖で、子供たちにも口を開けば、仏法のことばかりでした。今度は私が主人に代わって、家族に仏法の尊さを伝えたいと思います。(2010.9.7)
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【マンガ】「おぞましや体験談」
求道に悩んでいた迷海は、謎の二人に誘われ体験島へと連れて行かれた。そこは、一晩で獲信できると言う者たちの巣窟だった。(2010.8.31)
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弥陀釈迦の大恩
この世のどんな大恩でも、命を捨ててお返しできないものはないだろうが、親鸞聖人の恩徳讃は、「身を粉に」「骨砕きても」なお報い切れない大恩のあることを教示なされている。(2010.8.30)
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大乗無上の法を伝える 「従真垂化」
真実の教え、だれも知らない無上の道を知らされた者は、必ずその喜びがあります。「自分だけで喜んでいればよい」というのは、仏教の聞き誤りです。(2010.8.23)
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「真仮を知れ」親鸞聖人の教え
“真”とは「人生の目的」、“仮”とは、生きがいや趣味、目標など「人生の手段」のことである。「目的」と「手段」の水際のつかぬのを、「真・仮を知らざる」と言い、生命の大歓喜のないのを「如来広大の恩徳を迷失す」と言われている。(2010.8.20)
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【マンガ】「恐るべし体験島」
難解な言葉で厳しく見せ掛けた「東」の本丸が、親鸞学徒の本道の前にあっけなく崩落。疑謗寺の迷海は心を改め、本道を往く決意をした。(2010.8.12)
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仏法は聴聞に極まる
弥陀の18願(真)の救いは、「聞其名号」であるから「聞」で決する。「聞」は、「弥陀の呼び声」を聞く「聞即信」の「聞」である。「聞く」一つで決定する弥陀の救いだから、肝要は聞法であることは歴然だ。(2010.7.26)
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【マンガ】「本道を往く」
『歎異抄をひらく』は、親鸞聖人のお言葉を明示し、その意味を懇切丁寧に明らかにする。親鸞学徒は、親鸞学徒の本道をひたすら進むのみ。(2010.7.26)
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【マンガ】「自性唯心」
阿弥陀仏や浄土を観念的にみる見方を、「唯心の弥陀、己心の浄土」といい、それは間違った考えだと親鸞聖人は、徹底して正されました。(2010.7.20)
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「だから夫についていった」
新婚当初、聞法一筋の夫が理解できず、猛反対していた沙織さんが、なぜ大変わりしたのか。それは夫・裕二さんの、家庭での「よき夫」としての努力、妻の仏縁を念じる愛情あればこそだった。(2010.7.16)
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苦海の人生を乗せて必ず渡す阿弥陀仏の救助の大船
苦海に溺れる私たちを、必ず乗せて渡す救助の大船の厳存を教えられ、この船に乗ること一つが、万人共通の人生の目的だと親鸞聖人は教えられています。(2010.7.10)
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親鸞学徒の本道 親鸞聖人の教えをひたすら開顕する
多く沈滞する中で、親鸞会はどうして躍進し続けるのか、原因探求の声が聞こえてくる。更に珍しいことはない。親鸞会の歴史は、ひたすら親鸞聖人の教えの開顕だった。(2010.7.8)
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「往生の一路」を残した 法霖 自決の真相
江戸時代の浄土真宗の碩学・法霖が辞世として詠んだ漢詩「往生の一路」は、詩吟としても大変有名である。しかし、この詩には、ある秘話が伝えられている。本願寺の正統なる歴史には決して出てこない秘話とは──。(2010.7.6)
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親鸞聖人に順ってこそ親鸞学徒 尊ぶ根本は御名号
まことの心は微塵もないと、すべて見抜かれたうえでの弥陀のご本願と知れば、理屈を並べて木像絵像に固執するのではなく、親鸞聖人のお勧めどおり御名号を安置し、朝夕礼拝させていただいてこそ、親鸞聖人の御心にかなうのである。(2010.7.2)
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“名号本尊”は親鸞聖人のお勧め
親鸞学徒は、親鸞聖人の勧められるとおり、御名号を本尊としてご安置し、朝夕礼拝させていただく。その聖人の教えに背き、木像本尊で統一してきた真宗界でも、最近、変化が見られるようになった。(2010.6.30)
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「論より証拠」の落とし穴 教えで真相を見極める
善知識方は、「いつ」「どこで」「どの知識のもとで」「どのように」獲信したなど、各人各様、異なる体験談をどこにも遺されてはいない。決して親鸞学徒の本道を踏み外してはなるまい。(2010.6.30)
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家族とともに追悼法要
亡くなった親や先祖の恩に報いようとするならば、親の最も喜ぶことは何か、先祖の最も望むことは何かをよく知らねばなりません。望んでもいないことに、幾らお金をかけても無駄になります。(2010.6.29)
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【マンガ】『こだわらない』にこだわる?
歎異抄の「無碍の一道」とは、善悪、好き嫌い、の勝ち負けにこだわる執着から解放される、という煩悩執着のなくなった世界では断じてない。今回は、親鸞聖人のお言葉に学ぶ。(2010.6.29)
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親鸞聖人が明らかにされた完成・卒業のある信心
親鸞聖人が90年のご生涯、命を懸けて教えられたことは、ただ信心一つであった。これを蓮如上人は、有名な「聖人一流の章」の冒頭に、「聖人一流の御勧化の趣は、信心をもって本とせられ候」と喝破されている。(2010.6.26)
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史上最大の宗教弾圧 「承元の法難」は1冊の本から起こった
800年前、仏教界を震撼させた1冊の書物があった。法然上人の主著『選択本願念仏集』である。あまりにも大きかったその衝撃は、未曽有の法難へとつながっていった。(2010.6.23)
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親鸞会 顕真学院で短期研修 心地よかった
人徳を身につけるには何か特別なことをするのではなく、約束を守る、挨拶、礼儀、整理整頓、金銭管理など基本的な、当たり前の種まきをコツコツと実行し続けることが大切だと知らされました。(2010.6.22)
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「三願転入」は、すべての人の獲信までの道程
親鸞学徒の求道の道とは、三願転入の道である。若し三願転入を否定する者あらば、それは弥陀の本願を否定し、釈迦一代の教を否定し、七高僧を否定し、親鸞聖人の教えを否定する、仏教の門戸も知らぬ浅ましき外道である。 三願転入は、弥陀のお計らいなのである。(2010.6.21)
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信心の沙汰|これを知らねば『歎異抄』の“信心”は読めない
『歎異抄をひらく』(高森顕徹先生著)についての座談会が、親鸞会の二千畳で開かれた。座談会後、参加者同士、信心の沙汰で、座談会の内容を振り返った時、『歎異抄』第1章の「ただ信心を要とす」の「信心」が話題になった。(2010.6.20)
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「こうなった」の体験談は、みえみえの自己宣伝 親鸞学徒は本道のみを往く
蓮如上人は「一日も片時も急いで信心決定(しんじんけつじょう)せよ」と『御文章』に仰せである。しかし、何事も焦りは禁物。獲信を急ぐ聞法者に「こんな話は遠回り。もっと近道がある」「こっちの人は、みんな獲信した」とうそぶき、近づいてくる者がいるからだ。(2010.6.18)
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体験談 自己宣伝の ほかはなし
教学とは、獲信(信心獲得)の体験話を聞くことではない。そんなもの読めば読むほど、迷うだけ。そんな体験談を聞きたがる心こそ、実に迷いの親玉なのである。(2010.6.17)
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"命は平等"ってホントなの!?
娘が生まれるまでは、母に「もう子供じゃないんだから」と言っていましたが、今なら母の気持ちが分かります。ここまで守り育ててくれたからこそ、私は親鸞聖人のみ教えを知ることができました。(2010.6.17)
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まどろみ人生 スイッチオン!生きる目的ハッキリすれば 心から充実
高校時代、とにかく寝てばかりだった愛知県の室田祐樹さんは、親鸞会で仏法に出遇い、「人生は180度変わりました」「寝ている暇はない」と何事にも一生懸命取り組むようになりました。(2010.6.17)
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仏教の根幹・三世因果の教えと"今"を強調された親鸞聖人
三世因果の道理は、現在の自己を徹見せよ、現在の自分が明らかに知られれば、過去も未来も皆分かると教えられている。三世因果の道理を根幹に親鸞聖人は、弥陀の本願真実を「平生業成」「現生不退」「不体失往生」と開顕されている。(2010.6.14)
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【マンガ】それが無碍の一道?
歎異抄の「無碍の一道」とは、善悪、好き嫌い、の勝ち負けにこだわる執着から解放される、という煩悩執着のなくなった世界では断じてない。煩悩は死ぬまでなくならぬ、と親鸞聖人はおっしゃっています。(2010.6.14)
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【マンガ】『御文章』は如来の直説
蓮如上人の『御文章』の軽視、これが東本願寺の学者のそもそもの誤り。親鸞聖人の主著『教行信証』を表紙が破れるほど読み込まれ、その中の大事なことを、千の中から一つを選りすぐって書かれたのが『御文章』。如来の直説であり、親鸞学徒の本道のお手本なのです。(2010.6.8)
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三願転入は弥陀のお計らい
本師本仏の阿弥陀仏には、四十八のお約束がある。世に名高い、弥陀の四十八願といわれるものだ。その中で「あらゆる人を救い摂る」と誓われた願は3つである。十八・十九・二十の三願のみである。(2010.6.7)
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止まらない御名号本尊への流れ
親鸞聖人の教えと異なることを重ねて親鸞会に指摘され、苦慮するあまりか、住職向けの月刊誌に、矛盾した御本尊の解説が掲載されていた。本願寺の本尊論を検証する。(2010.6.2)
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親鸞学徒の本道で邪義を破る
私たち親鸞学徒が破らなければならない邪義(間違った教え)は数多い。その代表的なものが浄土真宗に3つある。親鸞会は、親鸞聖人のお言葉で教えを明らかにする親鸞学徒の本道を、ひたすら進むのみである。(2010.5.31)
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ニートから“輝く日々”へ
大阪の曽我光昭さんは、親鸞聖人のみ教えとの出遇いを喜び、光に向かう輝く日々を送っています。満たされることのない幻滅感から抜け出し、人生が180度変わった経緯を曽我さんに聞いてみました。(2010.5.27)
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【マンガ】親鸞学徒の本道で邪を破る
東本願寺から出版された歎異抄の解説本では、死後の往生を説かず、浄土往生をこの世のことにしています。それが、いかに親鸞聖人、蓮如上人の教えと異なるか、親鸞学徒の本道で邪を破ります。(2010.5.25)
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【マンガ】東本願寺が歎異抄本を出版
東本願寺から歎異抄の解説本が出版されました。真宗大谷派の最高位の学者が監修したもので、「東」の従来の主張が明確に書かれてあります。大切なことは、それが本当の親鸞聖人の教えかどうか。親鸞聖人のお言葉で検証します。(2010.5.16)
後生の一大事が問題にならねば「雑行」は絶対に分からない
「浄土真宗に善の勧めはない」という主張がある。それに対し、浄土真宗親鸞会は、一貫して「親鸞聖人の教えに善の勧めはある」と主張してきた。ところが、その親鸞会を「善をすれば助かるという諸行往生だ」と非難する者がいるのである。(2010.5.15)
無上の幸福こそ人生の目的
「平生業成」とは、人生の目的が平生に完成する、ということである。しかもその人生の目的は徐々に完成するのではなく、何兆分の一秒よりも速い「一念」で成就するのだと、『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』に親鸞聖人は説かれている。(2010.5.11)
“難中の難”と“易中の易”
救われるのは他力だから楽だろう、お慈悲な阿弥陀さまだからただで助けてくださるはずだ、とみな思っている。だが親鸞聖人は「甚だ以て難し」とか、「難中の難」「これより難しいことはない」とまで仰っている。なぜそんなに難しいのか。(2010.4.22)
【マンガ解説】雑行・雑修・自力の心 その④
御文章に幾度も書かれてある「雑行・雑修・自力の心」の“自力の心”とは何か?“自力の心”が、どうして廃るのか、解説します。シリーズ最終話です。(2010.4.19)
行ってよかった!! 親鸞会・顕真学院で研修
親鸞会・顕真学院での研修に参加した親鸞会会員の声を紹介する。どんなことを学んで来たのか、聞いてみよう。(2010.4.16)
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【マンガ解説】雑行・雑修・自力の心 その③
「雑行・雑修を捨てよ」とは、「自力の心」を捨てよ、ということです。善を捨てよ、お勤めをするな、ということではありません。では、“自力の心”とは何か?問題の核心に迫りたいと思います。(2010.4.12)
【マンガ解説】雑行・雑修・自力の心 その②
「雑行・雑修・自力の心をふり捨てよ」と言われる意味をマンガでわかりやすく解説します。その②では、“雑修”の正しい意味を学びます。(2010.4.12)
【マンガ】念仏にも三とおりある
『歎異抄』に頻出する念仏は、どんな心で称える念仏かがわからなければ、読み誤るところが随所にあります。三通りの念仏について解説しています。(2010.4.12)
一切経は「浄土の方便の善なり」
「親鸞聖人の教えに善の勧めはない」という主張がいかに親鸞聖人の教えに反する外道の説か、親鸞聖人の『一念多念証文』のお言葉から学びます。(2010.4.8)
『歎異抄をひらく』後、2年の沈黙
『歎異抄をひらく』(高森顕徹先生著)が世に出て2年。その間、毎年10冊前後出ていた「歎異抄解説」の新刊は全く姿を消してしまったようだ。この異常事態は何を意味しているのか考えてみたい。(2010.4.6)
【マンガ解説】雑行・雑修・自力の心 その①
御文章に何度も書かれてある「雑行を捨てよ」の正しい理解とは?誤解されている“雑行”の正しい意味を学びます。(2010.3.24)
なぜ自殺は愚かなのか
昨年、日本の自殺者は3万2500人。12年連続で3万人を超えた。よほど苦悩の深いことであってのことだろうが、釈尊は自殺者を「愚か者」と説かれている。(2010.3.24)
親鸞学徒の本道の要諦
こうした重大な事実から知らされるのは、蓮如上人や覚如上人が示された親鸞学徒の本道をゆくとは、かくも困難な事である、という現実である。(2010.3.1)
二種深信でひらく『歎異抄』
「往生をば遂ぐるなりと信じて」を、ほとんどの『歎異抄』解説本は「弥陀の浄土へ往けると信じて」と解釈している。だが『歎異抄をひらく』では、「信じて」を使わず「疑いなく弥陀の浄土へ往く身となり」と、 他書と一線を画する。(2010.2.22)
96歳 人生の大転機
「この世でハッキリ弥陀に救い摂られる。そんな世界があるんですね。この年になってこんなに感動するとは思ってもいませんでした」(2010.2.9)
父の遺言「本尊は御名号」
「『南無阿弥陀仏』の御名号、最も尊いものだから、大事にしてくれよ」。これが父の遺言でした。(2010.1.28)
『歎異抄』の謎を解くキーワード
『歎異抄』に頻出する「念仏」は、すべて他力だから、峻別された聖人の真意を酌まねば、深い謎に迷い込んでしまう。(2010.1.26)
マンガ 『歎異抄』は、いかに誤解されやすいか
歎異抄第1章を、かつて親鸞研究の第一人者、東大K教授が誤解したために大問題になりました。その教科書論争についてマンガで分かりやすく解説します。(2010.1.22)
マンガ 「親鸞聖人 大ブーム」なのになぜ出ぬ"反論書"
今、書店には親鸞聖人の関連本がたくさん置かれています。『教行信証』から真意を明らかにした『歎異抄をひらく』が、解説本の決定版になりつつあります。(2010.1.19)
南無六字の城|信長に徹底抗戦した護法の力は、こうして生み出された
信長が11年かけても落とせなかったのが、南無六字の城・大坂の石山本願寺であった。護り抜いたのは、農民や町民で構成された諸国の真宗門徒である。現今の浄土真宗教団には見られぬこのエネルギーを生み出した歴史を追ってみよう。(2010.1.15)
異端か、正統か。『歎異抄をひらく』発刊から1年10カ月
親鸞聖人のみ教えの重要な点で、これまでの解説をことごとく覆す内容であることは、ある一読者の、「これまでの歎異抄解説書は、一体何だったのだろうか」という驚きの感想に象徴されています。(2010.1.12)
無碍の一道に出でよ 『歎異抄』第七章の仰せ
『歎異抄』7章「念仏者は、無碍の一道なり」は、親鸞聖人の「皆さんも早く、念仏者になって、無碍の一道に出てください。人生の目的だから」というただ一つの願いだったのです。(2010.1.4)
親鸞学徒の勤行 『聖人一流章』の拝読を
蓮如上人の数ある『御文章』の中でも、特に有名なのが「聖人一流章」です。このお手紙が親しまれてきた理由は、親鸞聖人のみ教えが余すところなく完璧に凝縮されていることにあるのです。(2009.12.21)
聖人一流章 〜信心をもって本とする〜
蓮如上人の『聖人一流の章』について解説しています。(2009.12.21)
「念仏者は、無碍の一道なり」底知れぬ親鸞聖人の大自信
「人生には目的があるから、早く達成せよとの、平生業成の教えを多くの方に知ってもらいたいと思います」(2009.12.16)
『歎異抄』の信心 本願成就文でひらく
歎異抄第一章の「信心」は、なぜ「『仏願に疑心あることなし』の信心」となるのか。(2009.12.11)
抜き難し、南無六字の城 顕如上人と織田信長
頼山陽は、仏敵信長から石山本願寺を護り抜いた、親鸞学徒の信仰の力に驚嘆している。(2009.12.8)
「友よ、はらからよ」〜親友に伝え続けた13年間〜
「人生の目的がよく分かったよ。母との誓いを果たすのも、医師として生きるのも、親鸞聖人の教えの中にこそある。本当にありがとう」(2009.12.2)
【現代に生きる仏説】「ただ信心を要とす」の真義
肝要と確言される「信心」は世間一般に言われるものではない。親鸞聖人が信心と言われるのは、釈迦が本願成就文で説かれている信心である。(2009.11.25)
後生を問わぬ"『歎異抄』信仰"の破綻 〜大谷派住職の告白〜
読み手の勝手な解釈で、浄土真宗を混迷させてきた『歎異抄』しかし『歎異抄をひらく』のご発刊により、永い眠りの真宗界にも、心ある人々は立ち上がりつつある。(2009.11.17)
「これこそ真の浄土真宗や」〜救われぬ近代教学〜
「金子大栄、曽我量深先生以外の教えなど仏法ではない」と公言するほど近代教学を信奉していた大谷派住職K師が、臨終に信仰の破綻を告白した実話。(2009.11.17)
【現代に生きる仏説】自力とは何か
親鸞聖人のみ教えは「捨自帰他」(自力を捨てて他力に帰せよ)以外にありません。捨てなければ助からぬ自力とは何でしょうか。「自力を捨てよ」とは、「善を捨てよ」ということでは絶対ありません。(2009.11.12)
【マンガ・歎異抄】「念仏して急ぎ仏になりて」の本当の意味
(2009.11.10)
【現代に生きる仏説】正しく聞けているか
蓮如上人は、仏法を語れ、信心の沙汰をせよ、と強く勧められています。自分の迷った考えで聞けることだけ聞いていては、真実が心に入らないのです(2009.11.2)
【現代に生きる仏説】「雑行」が分からぬのは なぜか
朝晩、拝読する『聖人一流章』には「もろもろの雑行をなげすてて」とあるが、浄土真宗の人たちは雑行が何やら全く知らない。(2009.10.23)
素晴らしい仲間と過ごした 素晴らしき日々
「「なかったもの」として封印してきたあの4年間の学生時代は、無駄じゃなかったんだ、私は素晴らしい人たちと素晴らしい時を過ごしていたんだと、この日、心から思うことができました。」(2009.10.16)
【現代に生きる仏説】『歎異抄』から流れ出る思想
『歎異抄』に語られている親鸞聖人の教えは、唯心論でも唯物論でもない。そこには常識で理解しがたい深遠な思想があるのだが、それでも多くの人々が、 『歎異抄』に魅了されるのは、 「人類を救う思想がある」と感じ取っているからだろう。(2009.10.14)
凄いことを聞いていたんだ
「どんなに苦しくてもなぜ生きる──。実は、自分はすごいことを聞かせてもらっていた。全然分かってなかったんだな」(2009.9.29)
『御文章』と『歎異抄』 御心は一つだった 真宗大谷派住職からの投稿
『歎異抄』を都合よく解釈してきた真宗界にとって、『歎異抄をひらく』のご発刊は、動物園からトラが逃げたようなもの。これはある真宗僧侶からの投稿である。(2009.10.6)
【法子と朋美の仏教講座】報恩講って何かしら?
「ねえ、法ちゃん、秋にはホウオンコウっていう大事な行事があるって聞いたんだけど、それ何?」(2009.10.2)
【現代に生きる仏説】更に珍しき法を弘めず
聖人が「親鸞の伝えていることには、珍しい教えは何もない。釈迦の説かれた仏教を、皆さんにお伝えしているだけである」とおっしゃったのは、一体誰に対してであろうか。(2009.10.1)
「仏法聞かせてもらいや」亡き叔母の願い 胸に
家に訪ねてくる人があれば病気も忘れたように、起き上がって話をし、夜1時、2時ごろまで手紙を書き続け、それも便箋に20枚30枚と書いていました。(2009.9.29)
父母の恩 重きこと 天の極まり無きが如し
平成21年8月の親鸞学徒追悼法要で『父母恩重経』について聞いた法友から、喜びあふれる声が届いています。(2009.9.18)
【現代に生きる仏説】底なしの悪人を救う本願
韋提希だけではなく、「王舎城の悲劇」に登場する人物すべてが仏さまの化身であり、諸仏如来の演じられたドラマだと親鸞聖人は言われているのだ。その目的は何か。(2009.9.16)
体験話に迷わされた23年 「機相」「信相」の教導に驚く
「真宗では信心を表明する時、機相では語らず、信相でのみ語る」。これが真宗のイロハと教えていただきます。(2009.9.14)
【マンガ】「ただ念仏して」の「ただ」の誤解
親鸞聖人の教えは「唯信独達」。「ただ一度の念仏で極楽往生」というのは間違いです。(2009.9.11)
非行・非善の念仏 探し続けた その真意
霧に包まれた『歎異抄』。真意を求めながら知りえなかった真宗僧侶の祖父を悼む、親鸞会会員の手記を紹介しましょう。(2009.9.10)
『歎異抄をひらく』以後、論文激減/ハイデガーも『歎異抄』に驚嘆
『歎異抄をひらく』発刊後、『歎異抄』の論文数がどう変化したか、ここ10年の推移を調べてみました。(2009.9.3)
三木清から『歎異抄』へ 〜その真意は『教行信証』だった〜
「三木清から出遇った『歎異抄』。その正しい意味が分かったのは、高森顕徹先生の講演でした」東京の研修会で発表された、S教授の『歎異抄』をめぐる心の旅は、法友の胸を熱くした。(2009.8.31)
【マンガ】『歎異抄をひらく』の衝撃度
『歎異抄をひらく』は、親鸞聖人の主著『教行信証』のお言葉で『歎異抄』が解明されています。(2009.8.27)
【現代に生きる仏説】聞法の決勝点
「仏法は聴聞に極まる」と蓮如上人は道破される。では、どこまで聞けばよいのか。(2009.8.24)
親鸞聖人の教えを聞くのが好き!
「仏法を聞くことは、人間に生まれてくることがむずかしいように、有り難いということを教えてもらいました。」(2009.8.18)
【法子と朋美の仏教講座】お盆って何?
「お盆はね、正しくは盂蘭盆(ウラボン)っていうの。『仏説盂蘭盆経』というお経が由来になっているのよ」(2009.8.12)
「分かる話」をするのは難しい
二千畳では、何千人もの、年齢も、聞法歴も全く異なる人が、心を一つに聞き入っています。これは考えられないことだと驚いていました。(2009.8.10)
【法楽寄席】「身投げ橋」
「いいえ私はね、生きるのがもう嫌んなったの。それでも頑張れ?頑張れって一体何を頑張れっていうのさ?」(2009.8.5)
【現代に生きる仏説】弥陀の19の願意
阿弥陀仏が十方衆生を十八願の世界まで導くために建てられた十九の願意を開顕するために、釈迦は生涯、因果の道理から「廃悪修善」を説かれている。(2009.7.31)
苦難の人生 届いた光
こんな苦しい人生なのに、なぜ生きるのか。自分もこのまま生きていっても、結局、年老いて死んでいくだけ。それでいいのか、悶々と考えるようになりました。(2009.7.27)
【現代に生きる仏説】『歎異抄をひらく』から1年5カ月の現状
『歎異抄をひらく』の「はじめに」に明記されているように、親鸞聖人の主著『教行信証』などをもとに、『歎異抄』の解明に鋭意努められた書である。(2009.7.22)
[コラム]ダントツ人気の『歎異抄』なのに……
「歎異抄解説書」が『歎異抄をひらく』発刊後、1年5カ月経った今日も、新作はパッタリ見られなくなった。この沈黙は、一体何を意味するのであろうか。(2009.7.22)
【現代に生きる仏説】どこに向かって 泳ぐのか
親鸞聖人のご生誕がなかったら、何人も知りえなかったこととは何か。人類にとって、それは最も大事なこと。人生の目的である。(2009.7.16)
わが家に御名号本尊を、やっとお迎えできました
「一昨年の暮れ、弟の家を訪ねた時、お仏壇に六字の御名号がご安置されているのを拝見し、心が揺れました」(2009.7.13)
【法子と朋美の仏教講座】親鸞学徒追悼法要って何?
親鸞学徒追悼法要は、亡くなられた方をご縁として無常を念じ、今生きている私が、仏教を大切に聞かせていただくためのものなのです。(2009.7.10)
【ビデオ】いみずの四季・7月号
毎月発行されるビデオ『いみずの四季』の7月号ダイジェスト版です。今回は、6月20、21日に行われた親鸞聖人降誕会の様子を特集しています。(2009.7.7)
幸せロボット 作りたい
もしロボットが、人間の代わりに仕事をすべてできるようになったら、人間は一体、何をすればいいのだろう?(2009.7.6)
『なぜ生きる』に命 救われた
生きることは恥をさらす。生き続ければ人に嫌われ、厄介者扱いされる。「もうダメ。これ以上生きたくない。死ぬことで楽になりたい」と思うようになったのです。(2009.7.3)
【法楽寄席】「死の縁 無量」
えー、魚屋といいましても昔は、天秤棒を肩にかけ、ほうぼう売って歩く棒手振りというのがありました。その棒手振りの熊五郎、いつもなら威勢のいい売り声も、流行の風邪か、力が入りません。(2009.6.29)
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