苦しい息の中から、夫は懸命に仏法を伝えておりました
親鸞学徒追悼法要 体験発表
富山県 元山友利子
平成21年12月、主人は74歳で他界しました。ガンと分かって、わずか4カ月後のことでした。
東洋医学を学び、ハリやお灸で病気を治す鍼灸師であった主人は、横浜で開業しておりました。ある日、同居していた義母が、高森顕徹先生のご法話へ参詣し、帰宅するなり「真実のお方にお会いした」と熱いっぱいに話し、私たち夫婦も万劫の仏縁を結ばせていただくことができました。
そして20年前、家族で聞法できるよう、富山へ引っ越し、鍼灸院を開業したのです。「心の病は仏法で、体の病は鍼灸で」と、いつも言っていた主人は、「治療は布施の実践」と考えておりました。
横浜での患者さんを治療するため、毎週、夜行バスで往復していました。体力も気力もあふれ、健康にも自信があったのでしょう。
ところが、その健康に裏切られてしまったのです。
雨の中をトレーニング中転倒し、腰椎圧迫骨折で入院することになったのです。骨折ならすぐ治ると思っていたのですが、検査の結果、ガンでした。ガンで腰椎が弱くなっていたのです。
主人は初め、ショックを受けていましたが、「交通事故で即死する人を思えば、勉強する時間を与えていただいた」と言い、病室で光に向かう日々が始まりました。
『歎異抄をひらく』と『なぜ生きる』の朗読版を、繰り返し聞き、9冊の『教学聖典』(親鸞聖人の教えをわかりやすく学べるよう問答形式で1冊50問、9冊にまとめられたもの)を手元から離しませんでした。
一時退院できた時には、
「来年のF館落慶には、治療院も再開できそうだね」
「F館に宿泊する皆さんの、長旅の疲れを取り、真剣に聴聞できるようにしてあげたい」
と言っていました。
しかしその願いもむなしく、すぐ再入院。ガンは確実に進行していたのです。
車椅子にも乗れず、ベッドに寝たきりで、二千畳参詣もかないません。もう高森顕徹先生のお話をお聞きできないのか、ガックリきた主人に、阿弥陀仏のお慈悲が届きました。テレビ座談会(インターネットで座談会を配信し、国内外で聞法できる御縁)が開催されたのです。
高森先生のご説法をお聞きできる!と、大変な喜びようでした。酸素吸入しながらの聴聞でしたが、主人は喜びいっぱいでした。
見舞いに来た子供たちにも、一緒に聞くよう勧め、休み時間には苦しい息の中から一生懸命、仏法を伝えておりました。
親鸞会館を父の墓と思うこと
亡くなる数時間前、蓮如上人の「白骨の御文章」が聞きたいと言うので、拝読すると、「信心数え歌」を歌い始めました。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、堕つるこの機か、知らなんだ、知らなんだ、阿弥陀さま、今宵とは知らなんだ……南無阿弥陀仏」
医師の懸命な治療で、最後まで阿弥陀仏の本願を聞かせていただき、また家族と仏法讃嘆できたことは、何と幸せであったことか、心より感謝しております。
4人の息子たちに主人は、次の遺言をしました。
・遺体は医学のために献体し、親鸞会館が父の墓と思って、法要には二千畳へ必ず参詣すること。
・私の『教学聖典』から1冊ずつ渡すので、後は自分でそろえて勉強すること。
・親鸞聖人のアニメ『完結編』を皆で見ること。
皆、親鸞学徒として、しっかりと光に向かって進んでほしい。
遺言どおり、この親鸞会の親鸞学徒追悼法要に、息子夫婦や孫たちが参詣しました。
これからも遺言を忘れず、親鸞聖人の教えを聞き抜き、家族皆、弥陀の浄土で再会できるよう光に向かいます。
「わが家の財産は仏法」
元山友利子さんは語る
親鸞学徒追悼法要の夜、親鸞聖人のアニメ『完結編』を、息子夫婦や孫たちと一緒に見せていただきました。
今まで何度も見てきたアニメですが、主人を亡くして改めて、昿劫流転の生命と、その救いを説く仏法の重さを感じました。
子供たちは、形見の『教学聖典』を大事に受け止めていたようです。中でも長男は、父が伝えようとしたのは何だったのかを知ろうと、自ら『教学聖典』の解説書を求め、勉強していたのが、うれしくてなりませんでした。
「元山家には世間で言うような財産はないけれど、仏法という最高の財産がある」
というのが主人の口癖で、子供たちにも口を開けば、仏法のことばかりでした。
今度は私が主人に代わって、家族に仏法の尊さを伝えたいと思います。
(プライバシー保護のため、個人名は仮名にしてあります)