彫刻と私 光はさした
神田 義之さん(仮名)
「裏切り裏切られても、腐れ縁で結ばれている伴侶のような存在だと思っていました」。中学時代の日記には「彫刻と結婚する」とまで書いた。この春、神田義之さん(仮名)は、彫刻家の道を歩み始める。
芸術大学に在学中、親鸞会と出会った。仏法と芸術の狭間で悩み続けたが、その葛藤こそが神田さんを大きく飛躍させた。
つくばう
「デッサンは1年で100枚以上描く」。そう決めて、高校時代から授業も休んで1枚10時間以上かかる素描を練習した。
合格率20倍の難関を突破し、芸術大へ。キャンパスで受験番号を見つけた時は、「親の了承を得て結婚へ一歩近づいたような、彫刻を抱き締めたい気持ちでした」。
だが、親鸞会と出会い、親鸞聖人の教えを聞くようになり、生きる目的を知らされると、「彫刻こそわが人生」という価値観が崩れ、彫刻を続ける理由を考えずにおれなくなった。
〈生きる目的が分かれば、この世の営みは、目的を果たすための大切な手段と教えられる。政治や経済、科学や医学のことなら確かにそうだとうなずけるが、彫刻もそういえるのだろうか?〉
聞法の生活環境を整えるためなら、彫刻家という職は不向きと感じた。収入の見込みは立たず、作品を仕上げるのに何カ月もかかるからだ。
「それでもあえて、彫刻の道を貫く意味はあるのか」と、立ち止まらざるをえなかった。
神田さんは、山合いの小さな集落で生まれた。同級生の家は山一つ越えないと無かった。
遊び相手がなく、いつしか家の前を流れる百瀬川で拾った石を研いだり、裏山で見つけた木片を削って過ごすようになる。動物や人の顔を彫り出すと、身近な仲間ができたようで寂しさを紛らわすことができた。
中学・高校時代は、目的も分からず勉強に追い立てられる毎日に反発し、そのいらだちを彫刻にぶつけた。
「自分の不安定な心を、木にそのまま受け止めてもらえたようでうれしかった。彫刻にぶつかっている時は、生きている実感が得られたんです。これが私の、彫刻と向き合う原点でした」
芸大へ進んだのも、彫刻以外の人生など考えられなかったからである。
"趣味で彫刻をやる"という選択もありえたが、「もっと仏法に直結した道はないのか」と悩み始めた。
午睡(ひるね)
先達がいないため、答えは自分で彫刻に打ち込んでつかみ取るしかない。石彫や木彫、金属など、様々な素材や技法に取り組み、形の強さや表現も学んでいった。
最も古典的なテーマである「人間像」は練習用に彫ってはいたが、作品として高めていく自信はなかった。
「『人間とは何か』という探求は、ギリシャ時代から今日まで続いています。巨匠といわれる人は必ずこのテーマを扱っている。そこに挑戦するには大きなきっかけが必要でした。ミケランジェロやロダンと張り合おうとするのですから。スポーツでいえば、オリンピック級の選手がたくさん出場する試合にエントリーするようなものです」
試行錯誤を繰り返していた3年の夏、建設中であった親鸞会正本堂の緞帳の図案が公募された。
「仏法と芸術の間に架け橋ができたようで、心が躍りました」
緞帳には、親鸞聖人の「御臨末の書」に込められた衆生済度の御心から、無限性を表す波が描かれることになった。(緞帳の写真はこちら)
「では自分も、波をテーマに彫刻を作ってみようと思い立ったのです」
夏休みに入るとすぐ、スケッチブックを手に、和歌山県の片男波海岸とそっくりといわれる千葉の勝浦へ出掛け、日が暮れるまで鉛筆を走らせた。
小さな大理石を一日一個ヤスリで削って波の形を作り、聖人の御心をかみしめながら一カ月間、磨いて仕上げた。
だが、その作品が完成して教官や友人に見せた時、「空々しいな」と言われた。
「ショックでした。しかし自分でも受け売りになっていたと思いました。感動したフリではダメ、心の内側からわき出てきたものでないと見透かされてしまうんです」
どうしていいか分からず、ノミを打ちつける石頭を持つ手に力が入らない。
〈別の道を進むべきか。でも彫刻は、苦楽をともにしてきた自分の一部のようなものだから、やめたくない……〉
悶々としたまま、大学最後の年を迎えた。
「彫刻家として親鸞学徒の道を進むかどうか、卒業制作で決めようと思いました。決着がつかなければ、断念する覚悟でした」
海のさざめきマケット
何とか彫刻を続けたいと、すがるような思いで石に向かって自分を奮い立たせていたその年の10月、親鸞会館で学生大会が開かれた。
演題は「なぜ仏教を聞かなければならないのか」。
最も聞きたいことであり、彫刻で伝えたいのも、これ一つだった。
そのご説法の冒頭、高森顕徹先生は静かに、こう断言された。
「なぜ仏教を聞かなければならないのか。――それは人間だからです」
〈え?……ああ!そうか!〉
目を閉じる。膝の上の拳に力が込もった。何度もうなずきながら深いため息をつくと、長いトンネルを抜け出し、世界が広がるのを感じた。
〈人間だから……。仏教を聞かねばならない理由はそこにあったんだ。それなら彫刻で表現できる!〉
「仏教」と「彫刻」が、『人間』というシンプルな一言でつながった。
そして先生は、お釈迦さまの譬え話から、古今東西の人間の愚かな姿と、その人として生まれた本願を明らかになされた。
「人間は弱くて醜くて、とても形にはできないと思っていました。しかしその『人間』には、仏教を聞いて無碍の一道へ出るという、尊厳な目的があったのです」
『人間』とはそんなに重い存在であったか、と思い知らされた。
〈もう迷わない。人間をテーマにする〉
基軸が定まった。
卒業制作は、卒業生の中で賞を受けた。今、同朋の里に飾られている。
テーマを人間像に絞ってから、二年掛かりで仕上げた大学院の修了制作は、『旅人』だ。
旅人 I live
「生きることが、どんなにつらくて、いやで、苦しくて、くじけそうになっても、人間は、それでも目的に向かって何が何でも進まなきゃならない旅人なんだ、と言い切る作品です」
それまであまり評価していなかった教官も、『旅人』を見て、「スカッと吹っ切れたな」と声をかけてきた。
この作品は、今春、賞を受け、東京都内の公園に恒久設置されている。
「作品を目にした人が足を止め、『人間とは?』と問わずにおれない、そんな彫刻を作りたい。その探求は、必ず仏教に帰結すると思うんです」
一彫り一彫り 真剣勝負
石彫は修正がきかないので、一彫り一彫りに集中し、慎重に進めねばなりません。しかし同時に、勢いを殺さぬよう勇気を持って一気にいく姿勢も大事なんです。大きな作品は、屋外で作業します。雨ならカッパを着てやることも。そんな自然条件に左右されるのも、石彫の魅力だと思いますね。(神田さんのコメント)
花 Sakura
同朋の里C館玄関にて