どんな姿でも生きねばならない理由
山内清美(仮名)
私は、看護学校卒業後、看護師として働いてきました。縁あって、幼い娘がニ人いる男性と結婚し、色々ありましたが、子ども達は私を慕ってくれ、人並みの幸せな毎日を送っておりました。
そして数年前、親鸞聖人のみ教えを聞くようになったのです。
それまで聞いた事の無い話でしたが、なぜか乾いた砂に水が染込んでいく様に、心に染込んでいきました。
やがて、親鸞会の会員となりましたが、仕事や趣味、家同士の付きあいは欠かす事が出来ず、夫も私が親鸞会で仏法を聞きに出掛けることにに余り良い顔をしませんでした。
最初の喜びは続かず、いつしか仏法から遠のいてしまいました。
ところが、世間事に多忙な毎日を送っていたある日、体調を崩し、検査の結果、ガンと診断されたのです。
それまでの幸せが足元から音を立てて崩れていきました。入院中には、もし退院できたら、真剣に仏法を聞こうと心に誓いました。手術は無事終わり、5年間再発しなければ大丈夫、と言われて、退院。すると、仕事は減らしたものの、またも世間事に追われる生活に戻ってしまいました。
それから半年経たないうちに、また別の重い病気にかかりました。
寒い日の夜中、心臓の直ぐ横にかけて、激痛が走ったのです。太い鉄パイプを体に打ち込まれたような、今まで経験した事の無い激しいものでした。
余りの痛みに夫を呼ぶ事も出来ず、意識が薄れて行く中で、何とか自分で救急車を呼んだ処までは覚えています。気が付いた時は大学付属病院のベッドの上でした。
医師からは、手術が必要だが、ドクターにとっても私自身にとっても命がけの手術になる。成功しても半身不随になるのは避けられない。
しかも、ガンの手術から半年経っていないから、今の体力では手術できない。
命は後3週間持てばよいだろう、という死の宣告。
深い暗闇に突き落とされました。ああ、今まで何をしてきたのだろう、折角生まれ難い人間に生まれたのに。折角聞き難い仏法を聞く機会があったのに。後悔ばかりでした。
親鸞会館でいつも聞いていた、親鸞聖人の教えが頭を駆け巡りました。
しかし、私は、半身不随になるくらいなら、いっそ死んだ方がましだ、夫や娘達には世話をかけられないと思い、親鸞会での葬式をお願いし、ベッドの中で一人泣きました。ただ泣くしかありませんでした。
ところが何ということでしょう。
「お母さん、どんな姿になっても生きていて。私がお母さんの面倒を見るから」
嫁に行った娘がそういってくれたのです。その言葉に驚き、嬉しくてまた泣きました。
そして手術を受ける決心をしたのです。
生きたい、まだ死ねない。私にはやらねばならない生きる目的があったのだ。全身が叫びました。手術の体力がつくまで様子を診るという事で、退院し、検査を続けています。
仏法が、生きる力をくださいました。
体は、爆弾を抱えている状態ですが、後3週間と言われた命は不思議な事に、手術もせず、半身不随にもならず、体力は徐々に戻りつつあります。
大病を2回も患いながら、こうして生かして頂いているのは、仏法を中々真剣に聞かない私に、無常を無常と教え、早く求め切れよ、聞きぬいてくれよ、の無上仏(阿弥陀仏)の善巧方便と思わずにおれません。
今は親鸞会の講演会・親鸞会館でのご法話に参詣しています。夫にも聞いてきた事を私なりに話しています。すると夫も、親鸞会館のご法話に来るようになりました。
「どんな姿になっても生きていて」と言ってくれた娘達にも伝えたいと思います。
どんな姿になっても生きてるのは、何のためか。生命の尊厳を教えられたのが親鸞聖人であるということを。