家族再生 〈第2回〉 家庭悲劇が笑顔に転じて(2)
「生んでくれてありがとう」
【前号までのあらすじ】(内容はこちら)
倉吉家の長男・賢治は思春期を迎えると急に荒れ出し、家の中は暗く沈んでいった。ところが親鸞会で仏法にであうや一変。家庭にようはく春の日差しが差し込みはじめた。
「親が何だ。勝手に生んどいて!」。そう言われると返す言葉がなかった。
毎朝、京子は障子越しの光で目が覚める。起きるのは午前7時。本当はもっと早く台所に立ちたいのだが、これ以上早く起きると、「うるさい!眠れんやろ」とどなられる。
だれのために弁当を作ってやっているのか……。つくづく情けなく思えた。
専門家に子どもを見せたほうがいいか、夫に相談した。仕事が大変なのか、ただ一言「おまえの好きなようにしろ」。
自分一人で連れて行けるのなら苦労はない。答えは出ずとも、一緒に悩んで欲しかった。突き放されたショックで、以後、子どものことで相談することもなくなった。
近所の明るく素直な子どもたちを見るのがつらい。親失格と、責められている気がした。すがる思いで買った育児書も10冊を超えた。
「書いてあるとおりにやっても、効きめがないと余計自身を失うんです。未来に希望がない。泣けばそのまま崩れてしまいそうで、泣くことも出来ませんでした」
ところが仏法を聞くようになった賢治は、目に見えて変わっていった。
「お母さん、掃除機どこや?」。慣れない手つきで自室の掃除機がけを始めたわが子に目を丸くする。いとおしく感じながらも、いつまた豹変するか、内心、不安でならなかった。
2年が過ぎたある朝、
「新聞に僕の手紙が載ったよ。生んでくれてありがと」。
そう言ったかと思うと賢治は、『顕正新聞』をリビングのテーブルに置き、そそくさと出掛けていった。
「何やの?」
京子はその後ろ姿を見送った後、おいてあった新聞に目を移した。親鸞会発行の新聞のようだ。息子の名前が出ている。それは高森先生の法話の後に賢治が書いたもののようだった。
◆ ◆
合掌 いつも尊いご教導ありがとうございます。仏法を聞くまでの私は、「なぜ生まれてこなければならなかったんだ。人間ではなく猫にでも生まれればよかった。生まれるのは大変低い確率だが、生まれたくなかった。そもそも親が自分を生まなければよかったんだ」と親をのろい、「いちいちうるさい。命令するな」
「だれが生んでくれと頼んだ。親だからって偉そうにするな」
と、とんでもない暴言を毎日のように吐き、いつも親を苦しめていました。
この五逆罪の報いによって、この世から自業苦に堕ちていた私の心が、仏法によって
「生まれてきてよかった」と大変わりし、親に対してのみならず、すべてに感謝できるようになったのです。
◆ ◆
食い入るように読んだ。
「生まれてきてよかった」の一文に触れた時、堰を切ったように涙があふれ出した。声にならぬ声が、のどの奥から何度も何度も突き上げる。新聞を両手で持ったまま、京子はリビングで号泣していた。(つづく)
・五逆罪――親をそしる罪。仏法で教えられる無間地獄へ堕つる大罪。
親鸞聖人は、「親を謗る者をば、五逆罪の者と申すなり」
と教えられている。
※人物はすべて仮名です。