寺と聞き比べた8カ月
お聖教のお言葉で決す|親鸞会
富山県 親鸞会会員 宮本貞治さん
私も真宗難民の一人でした
「私も真宗難民の一人だったね」。富山県の宮本貞治さんはしみじみと語る。平成23年10月、親鸞会で勤められた750回忌法要の弁論大会で望月義明さんが「真宗の家に生まれながら教えを知らされず、私はまさに真宗難民でした」と訴えるのを聞いた時、共感せずにいられなかった。20代から教えを求め続けた宮本さんが、寺に見切りをつけた理由を聞いた。
寺で説教を聞いてきたが、教えはめったに聞けなかった
「変わった話やなあ。寺とは全く違うが、よう分かる」
平成18年2月、高森顕徹先生のビデオご法話で因果の道理を初めて聞いて驚いた。その後も続けて参詣すると、「人間は、欲や怒り、愚痴の煩悩の塊か。本当にそうやなあ」とうなずかずにおれないお話ばかりだった。中でもいちばんの衝撃は、弥陀の救いは死後ではない、現在ただ今、しかも救われたらハッキリすると聞いたことだった。
「永い間、寺で説教を聞いてきました。そのつど、布教使を招待するので50人以上になりますが、いずれも娑婆のことや冗談がメインで、教えはめったに聞けません」。本題に入ったかと思うと、すぐ脱線する。たまに仏教の話になると、決まってこう言われた。
「誰でも彼でも無条件で、死ねば阿弥陀仏に救われるのではありませんよ。阿弥陀仏に救われていることに、気づかねばならない。目覚めねばならないのです」
宮本さんは〈“気づく”とはどういうことか?〉。そこがボンヤリしていて、ずっと引っかかっていた。質問しようと思っても、話が終わるとスーッと帰ってしまう。質問ありませんか?と尋ねる布教使は一人もなかった。
僧侶に習ったが、結局、意味は分からぬまま
浄土真宗が盛んな富山県福岡町(現・高岡市)で、仏教熱心な家庭に育つ。「うちは真宗だから、親鸞聖人の教え、信心を知らんとダメやと思っておりました」
20代から寺の行事に積極的に参加、青年団の報恩講を主宰したこともある。教えを知る手掛かりになるのではないかと思い、葬儀や法事でよく読まれる『正信偈』を暗記したのは30代の頃だった。
退職すると、ますます仏教の信心が知りたくなり、50代半ばで富山市のカルチャースクールに1年間通って『歎異抄』を学んだ。
毎月1度で12回、講師は西本願寺の僧侶だった。1月には30人ほど参加していたのに、最終月には4人だけ。宮本さんはその中の一人だった。結局『歎異抄』の意味は分からぬまま終わった。
そのうちに、「『歎異抄』第1章に〈『念仏申さん』と思いたつ心のおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり〉とある。そんな心、2、3回起きた気がするし“目覚めた”ことになるのではないか。極楽があるとすれば、多分往けるだろう」と思うようになった。
親鸞会の法話に足を運んだのはそれから間もなくである。
親鸞会と寺の法話を、約8カ月、聞き比べ、結論を下した
喜び勇んで親鸞会の二千畳に参詣する宮本さんに、「なぜ寺で聞かず、親鸞会で聞くのか」と非難する人も現れた。
どちらが本当の親鸞聖人のみ教えか。〈他人の意見に左右されず、自分で確かめるしかない〉と思い、親鸞会と寺の法話を、約8カ月、聞き比べ、結論を下した。
「もうこれ以上、寺の話を聞く意味がない。親鸞会は一貫して、個人の意見ではなく、お聖教の根拠を示し、お言葉に基づいて話をされる。しかも一字一字丁寧に、大事なところは繰り返しお話しくださるので、教えがよく分かる。これに勝るものはない」
すべての人に後生の一大事があり、仏教を聞く目的は、その解決以外にない。寺で聞いてきた話と180度違っても、「それがお聖教どおりなのだから、厳しくとも真実は親鸞会にある。親鸞学徒の本道の素晴らしさが、判断の、いちばんのモノサシになりましたね」。
「自分だけにとどめておくことはできませんからね」
「本願寺の門徒なのに、阿弥陀仏の本願36文字の意味を聞いたことがない。まして、浄土真宗の至極・本願成就文はなおさらです。70年間、平生業成も、現当二益も聞いたことがなかった。まさに真宗難民でした」
今年9月に完成した浄土真宗親鸞会 小矢部会館では、いつでも親鸞聖人の正しい教えを聞くことができる。
「親鸞会の小矢部会館の落慶法要以来、法話案内チラシを持って、一軒一軒歩いていますよ。真実の教え、自分だけにとどめておくことはできませんからね」
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