夢新た 映像で世界へ
柴田利雄 さん
映画界の巨匠・黒澤明氏が死去したニュースを耳にしたのは小4のころだった。
彼の作品を次々と見て、「人間の本質を描く鋭さに魅いられてしまったんです」。自分もそんな映画監督になりたいと思い、中学高校時代、ジャンルを問わず名作といわれる映画を片っ端から見て研究した。
6年間柔道を続けたのも映画を作るには体力が必要と思ったからだ。
すべては映画に生かされる。そう思って何事にも全力で臨んだ。
だが、「夢に向かいながらも、もう一つ充実感がわかず、ガソリン入れずに走ろうとしている車みたいに感じることがあったんです」。
何かが足りない。
でもその何かが分からなかった。
映画は、監督である前に脚本家、脚本家である前に哲学者でなければならないともいわれる。映画の勉強をしていけばその答えを知ることができるだろうと信じた。
過酷な撮影現場
映画のサークル活動が盛んな大学に合格すると、すぐに制作を開始した。
仲間と一緒にカメラをいじったり徹夜で編集したり、最初は面白かった。
しかし、「映画をやれば、空っぽな心が埋められると期待していたのに、映画が完成しても、満足感がほとんどないんです。以前と何も変わらなくてショックでした」。
しかも撮影は過酷で、脚本の推敲、役者集め、録音など何もかもやらねばならない。そうやってコンクールに出しても、思うように評価されない。
課題を克服しようと2作目に取り組んだ。
衣装などを借りるために徹夜でアルバイトしたり、スタッフの不満を一身に受けるのも監督の役目だ。
だが現場はなかなかまとまらない。なぜ自分ばかりが神経を擦り減らさねばならないのかと悩んだ。
「苦労と充実感があまりにも釣り合わなかったんです」
大学2年の秋、朝から雨の降る中、奥多摩の御岳山のロケ地へと向かう。
両手に重い機材を抱えて山道を一人トボトボと歩いていると、ふと〈なんでオレ映画を作っているんだろう〉という心が込み上げた。
「好きだから」とは言えなかった。
撮影は最後まで続けたが、半ば自暴自棄になっていた。映画への情熱は薄れ、次第にサークルから足が遠のき、大学へも行かなくなった。
「何か」の答え知る
親鸞聖人のみ教えと出遇ったのは、一昨年の秋だった。
「人生の目的は万人共通唯一のものと聞いて感動しました」
映画で人間の本質を描きたいと思っていたのは自分自身が普遍的なことを知りたかったからなんだと、ピタッとつながった。
「自分は映画の中に目的があると思っていましたが、映画は手段であり〝生きがい〟
だったんですね。何を伝えるのか、生きることの本質は何か、それが抜けていたから映画へのモチベーションを維持できなかったんだと思います」
続けて聞法するほど心にエネルギーが満たされていった。
「今は満タンですよ。人生の目的を知らなかった時とまるで違います。将来は、学んだ映像技術を生かして親鸞聖人の教えを伝えたい。それが今の私の夢ですね」
(プライバシー保護のため、個人名は仮名にしてあります)