ニート少年が大変身
山田 順一(仮名)
高校卒業後、地元で仕事もせず、就職活動もしない、いわゆるニートであった私は、現在農園で心地よい汗を流しています。どうして働く気持ちになったのか、お話しします。
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毎日同じ事の繰り返し、点数で優劣をつけられ、なぜ生きねばならないのか、自分とは何なのかわからず、小学生のころから〝自己紹介〟が嫌いでした。紹介するべき、自分というものが何か分からなかったのです。私は○○です。と名前を言ったところで、それは「私の名前」であって、「私」ではありません。
答えをみつけたくて、『ソフィーの世界』(※)を読んだのは、中学1年の時でした。
(※ソフィーの世界・・ヨースタイン・ゴルデル著。少年少女向けの哲学入門書ともなっている)
本屋で「あなたはだれ?」という表紙の帯の言葉に惹かれ、この本を見れば何か分かるかも知れないと思い、むさぼるように最後までページをめくりましたが答えはありませんでした。怒りと落胆でため息がでました。
「生きる」のやめた
西洋哲学で教えていないのに自分で見つけられるはずがないと思い、〝生きる〟のをやめてしまいました。中学高校はだましだまし続けましたが、卒業後はどん底でした。
食事も水もほとんど取らず、髪の毛は伸び放題。目覚めたら夕方、ひどい時は次の日だったこともあります。
生きる気がないから朝起きようとも思わないんです。刺激を求めて小説を読んだり、絵を描いたり、クラッシックやジャズを聴いたりしましたが、現実逃避でしかありませんでした。かといって自殺はあまり考えませんでした。目的が分からなくても生きてやる、と意地になっていたのでしょうね。もう生きるのも死ぬのも面倒でした。ただいつまで続くか分からない、終わりなき日常が、それも決して楽しくもない日常が過ぎていきました。
転機は駄菓子屋で
転機が訪れたのは、2年前の夏でした。
昔からよく通っていた近所の駄菓子屋に、高森顕徹先生監修の『なぜ生きる』が置いてあったんです。
中身を読んでみると、知りたかった答えが書いてあることに驚きました。一気に読了しましたが、難しいので、繰り返し読みたくて店に通い続けました。やがて、その本は幼なじみ・高村さん(親鸞会会員)から贈呈されたものと知りました。
その本がきっかけで、高村さんから
「関心があるなら一緒に親鸞聖人の教えを、親鸞会の講演会に聞きに行かないか」と誘われて、親鸞会の講師の講演に参加しました。
そこで耳にしたのは、お釈迦様の「人間の実相」の例え話でした。
お釈迦様が、人間の本当の姿を、例え話で詳しく教えられている。その姿はまさに、目的が分からず、かといって自殺もする気にもならず、生きたまま死んでいる自分の姿そのものでした。仏教に人が生きる意味が教えられているなんて。
生きる目的を明快に教えられているのが、親鸞聖人の教えなのだ、その時ハッキリと知りました。
私が生きているのは、本当の幸福になるためだったのかと、驚きました。
人生の目的が大事だから、働くことが大事
親鸞会で続けて親鸞聖人の教えを聞いていきたい。人生の目的が大事だから、働くことが必要なんだ。今のままではダメだ、と初めてアルバイトをするようになりました。
その後、親鸞会の会員となり、親鸞会館近くの農園で仕事をしています。
仕事に就かない私を心配していた母も、「息子をここまでガラリと変えた仏法に、ただただ感謝しています」と喜んでいます。
厚生労働省の発表によると、2006年度ニート人口は62万人だそうです。
働かない若者として、社会問題になっています。私自身もニートでしたが、ニートの人すべてが、ただ怠けたい、楽がしたいから働かないのではありません。
大部分の人は、働く意味が見いだせないのだと思います。
「働くこと=良いこと」という価値観は、私と同世代の若者の間では、絶対的な価値観ではなくなっています。
働くことは楽なことではありません。父親、母親の背中を見ればわかります。働かなければ、生きてはいけません。しかし、つらい仕事をしても生きるのは何のためなのか、生きる意味が分からなければ、働く意味もまた分かりません。
ニート問題とは、生きる意味が分からず、働く意欲も起きない若者が、それだけ多くいるということだと思います。
一方、実際に働いている人でも、生きる意味を知っている人はどれだけあるでしょうか。
親鸞聖人は、それを教えられているのです。親鸞会とご縁があり、今は、親鸞会の会員として生きる意味を知り、元気に働ける私は、本当に幸せだと思います。
私と同じような人に、この最も大切なことを、親鸞会で知ってもらえたら、とてもうれしく思います。