ともに聞法し逝った母 家族に法の宝を残して |親鸞会
長野県 親鸞会 会員 吉沢 早智子
約30年前のこと、私が仕事から帰ると、いつも家は真っ暗、母の姿はありませんでした。日曜日には、遠くまで親鸞聖人の教えを聞き求めに出掛けていくのです。
変な宗教に入ったのではないかと心配して、止めようとしましたが、母はますます生き生きと出歩くようになりました。娘の私にも仏法を伝えようとしてくれたのですが、当時の私は、仏教の話を避けておりました。
忘れもしない平成11年2月、母が「このカバン重いから、持って行ってほしい」と言うので、仕方なくついて行きました。それが、私の聞法の始まりだったのです。
以来12年、母とともにいつまでも聞かせていただけるように思っていました。
しかし昨年、91歳の母との別れがやってきました。体調を崩した母は、6月の親鸞聖人降誕会が最後の親鸞会の二千畳でのご縁となり、心待ちにしていた親鸞聖人750回忌法要に参詣できませんでした。夫と私が750回忌の感動を伝えると、とても喜んでおりました。
母は気分のよい時に、私が高森顕徹先生の『親鸞聖人の花びら』を拝読するのをうなずいて聞いていました。人生の目的と趣味や生きがいとの違いを、何度も聞きたがりました。
短歌に託した心情
10月に転んでから、どんどん体調を崩し、胸の内を、多くの短歌にして書き留めておりました。その中の一首です。
まかせたる 弥陀ある
この身の幸せを
一人占めして
眠らんとする
11月9日、母は家族に惜しまれながら往生の本懐を遂げました。親鸞会で葬儀をしていただき、今、私は孫と『正信偈』を拝読しています。母は家族に仏縁を与えてくれました。
今度は、わが身です。仏法を一層、心にかけて生きていきます。
光に向かって。
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