家族再生 〈第2回〉 家庭悲劇が笑顔に転じて(3)
「修羅場なればこそ」
【前回までのあらすじ】
すさんでいた長男・賢治の心は、仏法の慈雨に潤され、大きく変わった。両親は安堵したが、それは次の家庭悲劇の幕開けだった。
※写真と本文は関係ありません。
兄が落ち着くと、今度は次男の淳之介が荒れ始めた。非行に走り、高校から再三呼び出しがかかる。
家族会議も開かれた。
淳之介はこぶしでテーブルをたたいて叫んだ。
「兄さんにやられ続けた僕を、何で助けてくれへんかった。それでも親か!」
荒れ狂う兄から自分を守ってくれなかったことにどれほど傷ついたか、淳之介は激しい口調で親を責めた。母の京子は、次男を非行に走らせた原因が自分にあることに愕然とした。賢治も過去の己の横暴さに、心がズタズタにさいなまれていた。
*
賢治は仏法以外、この家に光はないと思い、『王舎城の悲劇』のアニメを、母と妹の真理子の2人に見せた。
(※参照:王舎城の悲劇の悲劇とは|浄土真宗 親鸞会 公式ホームページ)
※お釈迦様の時代にインドで起きた実話。
ビンバシャラ王・韋提希(いだいけ)夫人夫妻とその息子・阿闍世(あじゃせ)の間の一大悲劇。
現在はアニメ映画にもなっている。以下はその場面より
韋提希「阿闍世。父上に向かって、何を言うの!」
阿闍世「親が何だ。二言目には、苦労したとか、かわいがったとか、恩着せがましく言いやがる。それじゃ初めから、生まねばよかったんだ。勝手に生んでおきながら!」
王「阿闍世。おまえという奴は……」
阿闍世「もう、この先、何の楽しみがある。いいかげん、死んだほうが幸せじゃろう」
韋提希「阿闍世。何という恐ろしいことを。おまえは、どうしてそんな子に……」
阿闍世「もういい!泣き言は、もうたくさんだ。おれの勝手にやるからな。出ていけ!」
アニメのシーンは、まるでわが家を思わせた。王様夫妻の苦しみは痛いほど分かったが、韋提希が弥陀の本願に救われる場面に、京子はまだ半信半疑の思いでいた。
*
やがて神戸で高森先生のご法話が開かれる。次男の自宅謹慎処分中のことだった。
「淳之介を残して家を空けるわけにいかない」と言う母に、賢治は頭を下げて言った。
「お母さん、こんな近くであるんや。どうか高森先生のお話を聞いてほしい」
その真剣さに根負けした京子は、小学生の真理子と会場へ出掛けた。真理子は語る。
「王舎城の悲劇を通し、自らのタネまきで自らが苦しむという惑業苦の話は、幼心にも分かりました。兄はそれからも母と私に熱心に仏法の話をしてくれたんです」
3人は聖人のみ教えのもとに、自然と歩み寄るようになる。バラバラだった心が、仏法を通してやっと理解し合えるようになってきた。
「こんなことがありうるのか」。
京子は親としての喜びを、久しぶりに味わった気がした。
一人、輪から外れていた淳之介も、家庭に笑顔が戻ると、少しずつ態度が和らぎ、大学進学を真面目に考え始めた。
「修羅場だった家庭も今ではご方便と感じるんです。あんなことでもなければ仏法を聞く私ではなかったから。聞法できる今が本当にうれしいのです」。
京子は昨年暮れ、居間で一人『王舎城の悲劇』を繰り返し見た。弥陀の本願に救われた韋提希は、自分を虐待した阿闍世に
「阿闍世よ。このようにしてくれなければ、とても仏法聞く私ではなかったのです。ようこそ、ようこそ」
と我が子へ感謝の言葉を口にする。以前と違い、「そのとおり」と思える自分がそこにいた。
(つづく)
※人物はすべて仮名です。