父の遺言「本尊は南無阿弥陀仏の御名号」
ブラジル 清水久美子
私はブラジルのミナス州パラグァスパウリスタの綿農園で生を受けました。
5歳のころに両親はサンパウロ州イビューナに移住、トマト作りに励んでいました。間もなく収穫できると喜んでいた矢先、母がマラリアという恐ろしい熱病で急死したのです。
父は1人で、私たち4人の子供を育ててくれました。
浄土真宗であった父は、夜になると私たちを仏間に座らせ、『正信偈』を読み聞かせるのが習慣でした。
それから35年、苦難続きの父の人生に、ようやく光が届きました。本当の親鸞聖人のみ教えとの出遇いです。
父は何か人生に物足りない思いを持っていましたが、親鸞会で真実の仏法を聞くようになってから、とても楽しそうに外出することが多くなりました。
食事の時には、よく高森顕徹先生がご説法で話される因果の道理、盲亀浮木の例え、阿弥陀仏とお釈迦さまの関係など聞かせてくれました。
「絶対に正しい教えだから、一度でよいから親鸞会館に行ってみなさい」。涙ぐみ、夢中になって勧めてくれたのです。
ところが「親の心、子知らず」で、私は嫁いでから、真言宗に迷いました。ガンで苦しむ末娘が少しでもよくなるようにと、朝晩欠かさず主人と真言宗のお勤めをしました。
しかし娘は1歳の女の子を残し、21歳の若さで亡くなったのです。
その16年後には主人が帰らぬ人となりました。69歳でした。
父の体も弱くなり、1人では歩けなくなりました。
そして平成16年9月、無常の風に誘われて逝ったのです。
「『南無阿弥陀仏』の御名号、最も尊いものだから、大事にしてくれよ」。これが父の遺言でした。
ブラジルの農園
1人になった私は、3年前、長女の家族が住むアパートに引っ越しました。
6階の部屋から見下ろすと、辺り一面民家です。その中にひときわ目を引く、大きな白い建物が見えました。
「あれがおじいちゃんが楽しそうに通っていた親鸞会館だよ」と娘が教えてくれました。浄土真宗親鸞会のサンパウロ会館でした。
「ああ、ここだったの!父の三回忌はこちらでお願いしよう」とすぐに決めました。
早速伺い、法事を依頼すると快く引き受けてくれました。
親鸞会サンパウロ会館のお仏壇、「南無阿弥陀仏」の六字の御名号を拝見した時、父が最期に言っていたのはこの御本尊のことだったのかと胸が熱くなりました。
三回忌法要で、お釈迦さまの「人間の実相」の譬え話をお聞きし、驚きました。
欲や怒りの煩悩で造り通しの罪悪に気づかず、刻一刻と短くなる寿命にも無頓着で、必ず死ぬと聞いても、わがことと思えない。何と恐ろしいことでしょう。
このように詳しく仏法を説かれるところはどこにもありませんでした。
父が伝えようとしてくれていたのは、このことだった。後生の一大事と解決の道、娘たちにも話さずにおれませんでした。
父の遺言を胸に、阿弥陀如来のご本願、聞かせていただきます。
(プライバシー保護のため、個人名は仮名にしてあります)