いつまでたってもキリがない
園田 浩治(仮名)
両親は私が小学校に入る前に離婚しました。寂しい思いをしたこともありますが、母が仕事と家事を一生懸命してくれたおかげで、今まで何不自由なく成長してきました。
そんな私は、小さいころから毎日を明るく楽しく過ごしたい。どうすればそのような日々を送ることができるのかと考えていました。
当時小学生だった私は、とりあえず毎日遊んで暮らしていれば毎日楽しいのではないかと考えていました。しかし、とりあえず遊んでいても、それほど楽しくなるわけではありません。
そこで私は、ただ漠然と遊んでいるより、夢中になれるものを見つけ、そのことをやっていれば、毎日が明るく楽しくなるのではないかと考えました。
中学に入学した時、ほかの人に比べれば足が速かったので陸上部に入りました。最初は走り幅跳びをやっていたのですが、顧問の先生の勧めにより、走り高跳びを始めました。走り高跳びのバーを越える瞬間が大変気持ちよく、すぐに走り高跳びに夢中になりました。
日曜以外は毎日練習、大会に出て自分の記録が伸びるたびに、達成感を味わい、自分が成長することに喜びを感じました。
中学最後の夏には県大会に出場し、自己最高記録も更新、満足した中学生活を終えることができました。
その後、私は高専に進学。陸上部の顧問の先生から、
「おまえは練習すればまだまだ記録を伸ばせるぞ」
と言われ、自分でもまだまだ成長できると思っていたので、高専でも陸上部に入部しました。毎日の練習で、自分の記録を着実に伸ばしていくことができました。そして高専3年の秋、私はある大会に出場。この日は体を温めている時から調子がよく、今日は自己新をねらえるかなと思っていました。
その結果、見事自己新記録を更新。ところがなぜか、この時は喜びがなかったのです。全くなかったわけでもありませんが、心の底では
「記録を更新?だからどうした」
と冷めておりました。これはどうしたことか。悩みましたが解決策は見つかりません。それからの練習はただ惰性でやっているようなもので、別に楽しくもないのに何で毎日こんなつらい練習をしているのだろうという思いも出始めていました。
しかし、私はその時、副部長という立場だったため、つまらなくなったからやめるという無責任なこともできず、ただダラダラと練習をこなしているだけという状態でした。
夢中だったものに、夢中になれなくなってしまった。これでは毎日がつまらなくなってしまう。ほかに夢中になれるものを探さなければ。しかし、次に夢中になれるものを見つけても、またそれがつまらなくなってしまったらどうする。また夢中になれるものを探すのか?しかし、それではいつまでたってもキリがない。
だいたい、いつか冷めてしまうと分かっているものに夢中になり切れるわけがない。これでは死ぬまで心のどこかに不満を持ち続けたままではないか。そんなのは嫌だ。この心をどうにかできないか。他のスポーツにその道があるのか、それともスポーツではなく学問か、それとも仕事か、ボランティアだろうか。いろいろ考えましたが、どれも自分を本当に満足させるものではなさそうでした。
高専の5年間は不完全燃焼のまま過ぎてしまいました。こんな心のまま社会などに出てしまったら、中間管理職になるころには、自殺でもしかねないと思っていた私は、ほとんど社会に出る時間稼ぎのために大学へと進学しました。そして3月、適当に単位取って卒業するか、などと考えていた私が、親鸞会の人から、親鸞聖人の教えを聞くことができました。
「親鸞聖人は人生の目的を教えられています」
最初は
「一体こいつ何言ってんだろう」
と思いましたが、人生の目的という言葉に何か心引かれるものがありました。
どうせ、単なるいい話程度のことだろうと、高をくくっていたのですが、聞けば聞くほど納得せざるをえない話ばかり。
そして、人生の目的は生きているただ今完成する。絶対に崩れない色あせない幸せがある、との断言に、この人たちの言っていることは真実かもしれないと、どんどん引きつけられていきました。親鸞聖人の教えの尊さに驚いています。
今は、親鸞会の会員となり、親鸞会館のご法話に参詣しています。
生きる意味を知って生きるとは、心がこれほど変わるものかと思うほど、日々充実しています。