ニートから“輝く日々”へ
大阪府 曽我光昭
「引きこもった4年間、本を読んでばかりいました。
村上春樹や重松清など、500冊以上になります。読み終わると途端にむなしくなり、それを紛らすように次の本、と現実逃避を繰り返していました。
嫌なことから逃げると、心はますます弱くなり悪循環にはまります。
寝る前に、このまま消えてしまいたいと思う日もありました。
家族で何度も海外へ行き、欲しい物は苦労なく手に入っても、なぜか心が満たされない。
そんな幻滅感が、生きる活力を奪ったのだと思います。仏法を聞き、真の目的を得て、私は変わりました」
このように語る大阪の曽我光昭さんは、親鸞聖人のみ教えとの出遇いを喜び、光に向かう輝く日々を送っています。
満たされることのない幻滅感から抜け出し、人生が180度変わった経緯を曽我さんに聞いてみました。
■親友の裏切り
20年前、大阪で一人息子として生まれ、何不自由なく育ちました。
中学受験をし、中高一貫校に入学。内向的な性格で友達ができずにいた時、出席番号の近い子と仲良くなり、やがて唯一の親友と呼べる間柄になりました。学業においてライバル意識を持って互いに高め合い、この良好な関係は中高6年間も、卒業後も続いていくと信じていました。
しかし高校1年の6月、彼は突然口をきいてくれなくなったのです。理由を周りに尋ねると、「曽我とは絶交、って」と、思いがけない言葉が返ってきました。なんで?
他の友達とは楽しそうに話しているのに、私を視界に入れようとすらしない。何日も無視が続きました。
■引きこもった4年間
親友という支えが崩れ、悲しみのドン底に沈み、勉強や人間関係、あらゆるものに意味を見いだせなくなりました。学校には行かず1日部屋に引きこもるようになったのです。担任の先生は、「学校来いよ」「おまえなら絶対いい大学行けるからもったいないぞ」と、引きずり出そうとしましたが、学校に行って何になる?としか思えませんでした。高校を卒業し、大学に入り、就職して金稼いで、それで?ただただむなしくなるだけでした。
5カ月後、両親の猛反対を押し切って中退、そのあとは、いわゆるニート(※)です。
※ニート:学校にも行かず、労働や職業訓練もしていない若者のこと。
こんな無意味な人生、なんで生きてるんやろう。死んだほうが楽じゃない?そう思いつつも、自殺を企てたりはせず、死なないために生きる毎日でした。親のすねをかじって3年目、初めて、母に胸中を打ち明けました。
■漠然と終えたくない
「これから何したらええか分からん。何やっても無駄なだけやのに。頑張らなあかんとは思うけど、頑張る意味がないやんか」
しばらく考えた母は、「それなら大学行け。金稼いで生きていかんと、生きる意味もへったくれもあらへん。大学行けば、何か見つかるわ」。
投げやりだと思いつつも、母の言葉で目標が生まれ、勉強に打ち込むようになりました。
その年に高卒認定を取得、翌年、大学に合格しました。親を心配させ続けたニート生活ともおさらばでした。
■親鸞聖人の教えとの出遇い
しかし、またも問題が起きました。合格通知が届いた途端、私の気持ちが燃え尽きてしまったのです。憂鬱な気分で入学式を迎え、その翌日、ベンチに腰掛けため息をつく私に、声をかける人がありました。
「将来のビジョンを持っていますか。何のために生きるかハッキリさせないと、大学時代、何も残さず終わっちゃうよ」
この言葉は、漠然と過ごしたニートの4年間を思い起こさせました。以来、親鸞会で仏法を聞かせていただくようになったのです。
親友の裏切り、高校中退、空白の4年間、一つでも欠けていたら、仏法との出遇いはなかったでしょう。すべては阿弥陀如来のご方便と、喜ばずにおれません。
親鸞会で親鸞聖人のみ教えに巡り遇い、人生観は180度変わりました。無意味と思っていた人生に、こんな意味があったのか。人生の意味を知らされ、心が落ち着いてくると、一日一日が輝き始めました。
高校中退した時は、両親さえも恨んでいましたが、今は心から感謝しています。親鸞会で出会えた素晴らしい法友と、ともに励まし合い、光に向かって進ませていただきます。
(プライバシー保護のため、個人名は仮名にしてあります)