百千万劫の仏縁
前田町に参詣以来 40年ぶり
富山県 澄田 芳恵さん(仮名)
篤信家の母から、仏法の尊さを聞いて育ちました。
21歳で結婚、子育てが一段落した40歳過ぎに、親鸞会を教えてくださる方があり、仏法に近づきたいと思い、前田町の会館へ参詣するようになったのです。ところが、数カ月後、高森先生は大変厳しく、
「一向専念無量寿仏だから、阿弥陀如来以外には絶対向いてはならない」
と説かれました。その途端、
「えっ?何で地蔵さんに参ったらダメなの?」
という心が噴き上がってきたのです。私の迷いのために、ご説法が耳に入らず、それっきり行かなくなってしまいました。
それから40年たった昨年夏、自宅に親鸞会主催の講演会のチラシが舞い込み、懐かしさから、そこに書かれていた「射水市上野」へ行ってみたのです。現在の親鸞会館を目の当たりにして、うわぁ、こんなに大きくなったのかと驚きました。
再び聞法するようになり、私を助ける力は弥陀以外にないから、諸仏や菩薩に向かってはならぬと、親鸞聖人が厳しく教えられていることがようやく分かりました。本当の慈悲の教えだったのです。
何ともったいない40年だったのか。"今度こそ"の気持ちで聞法精進いたします。
55年回り道・残りの人生を仏法に
福井県 西尾 佐千子さん(仮名)
私の住む町は、法話のある家に提灯が掲げられ、始まりを知らせる太鼓が鳴り響く、仏法大事の土地柄です。
22でこの町に嫁いだ私は、ご布教中の高森先生に3回お会いしました。近所の家庭ご法話でした。
間もなく、国鉄勤務の夫が腎結石で苦しみ、医者から、「あなたはこの病気で命を落とす」と宣告されたのです。その時、「真光教を信仰すれば必ず治る」と勧める知人があり、夫はのめり込んでいきました。私も従わざるをえません。夫婦と子供2人で東京の本部へ毎月出向き、福井の行事は欠かさず参加、また自宅での集会など、幹部として20年以上も活動しました。
ところが昭和48年、信者の経営する会社が倒産し、貸していたお金が返らなくなったことから教団不信を抱き、私たちは意外なほどあっさり、真光を辞めたのでした。
しかし、何かにすがらねば不安で、また家族全員で「大山ねずの命」を信じ、モラロジーという倫理道徳にも首を突っ込みました。そのうちに、夫は10年前に病死してしまったのです。
そんな一昨年末、友人に勧められ、親鸞会の家庭法話に参詣し、私は55年前に戻って、親鸞聖人の教えに心打たれました。ああ、何と長い間、いろいろな宗教をさまよってきたのか。
今では親鸞会館2000畳へ月3回参詣し、法友3人と持ち回りで家庭法話を開催しています。今度こそ、出世本懐を遂げるまで、聞法に身を沈めます。
仏法に通じる理学療法士治療を仏縁に
兵庫県・石塚敏夫さん(仮名)
ベッドに腰掛けた患者さんの体を前から介助し、膝と足首にゆっくり本人の体重を乗せていきます。
「もう少し力がついて、足首が曲がるようになれば、自分で立てますよ」
理学療法士として、寝た切りの人のリハビリをお手伝いするのが私の仕事です。患者さんとの2人3脚、不自由な体を嘆く相手に笑顔で接するのはもちろん、「やればできる」と実感してもらうことが大事です。十分に筋肉をほぐし、少しでも体が動けば、「すごいですね!よかったですね!」と心から喜び、「これができれば歩けますよ」と前向きにアドバイスします。
一方で、半年たっても1人でトイレに行けず、ご飯も食べられずに、「こんなんなら早く死にたい」と漏らす人もあります。そんな時、「なぜ生きる」を伝えられるのは、親鸞学徒の理学療法士だけです。ご著書を渡し、関心を示す人には仏法の話をします。結果、患者さんなど5人が2000畳に参詣し、うち3人が親鸞会会員によろこんでなられました。
3月から、自宅でビデオご法話を行っています。さらに将来は、自宅で鍼灸院を開業し、存分に仏法の話しをしようと、専門学校で勉強中です。