毎日楽しければいいと思っていました。
高橋美希(仮名)
私は、大学に入って親鸞聖人の教えに出逢いました。
それまで、人生について深く考えたことはなく、その時を楽しく過ごせればそれで良い、そう思っていました。もちろん、周りの友達も同じように、毎日、今さえ楽しくやれば良い、といった感じで同じような毎日の繰り返しに何の疑問も持たずに過ごしていました。特に変化のない毎日のほうが、良いのではないかとさえ思うほどでした。
将来に対する漠然とした不安や焦りは、心の隅にありましたが、友達と一緒になって騒ぐことで、心のモヤモヤを紛らわしていました。いつまでも、こうして毎日、友達と何気ないことで笑っていられたらいいのにと思っていても、現実が、目の前にありました。
大学に進学すると決めたのも、周りのみんなも進学を考えているから、流されるように、進学を選びました。やりたいことがなかったという訳ではないのですが、どうしてもこの道に進みたい、というものを見つけられずにいました。
大学に行っても、毎日楽しいことを探して大学生活を満喫できたらいいなあ、と思っていました。そんな私に、人生を変える出会いがあったのです。
「人生には、これひとつ果たさなければならない目的がある」
そうハッキリと断言される親鸞聖人の言葉に、今までの自分の人生観の希薄さに驚き、もっと聞いてみたいと思うようになりました。仕事に振り回され、忙しい忙しいと口癖のようにつぶやき、何のために生まれてきたのか、何のために生きているのか、どんなに苦しくとも、なぜ自殺してはならないのか、考えもせずに、アッと言う間の人生を終えていく人のいかに多いことか。
自分も、仏法に出逢わなければ、毎日をただなんとなく過ごし、目の前のことに心を奪われ、臨終に後悔を残す一生に終わっているところでした。
今まで誰も教えてくれなかった、人生の目的について教えられている仏教との出会い、親鸞会との出会いは、不思議でなりません。親鸞会の人から声をかけられなければ、今の私はいないのだと思います。
いくら親鸞会で真実の仏法が説かれていても、縁がなければ、仏法をきくことができないと教えていただきました。私からでなければ伝えることができない人も多くいます。私だけの問題ではなく、全人類の抱えている問題。その解決の道を示されているのが仏法です。
今、一番仏法を伝えたいのは、私の家族です。どんな時でも、私を支えてくれ、励ましてくれた家族になんとしてもお伝えしたいと思います。母の誕生日に「なぜ生きる」をプレゼントしました。すると母から、
「あまり本は読まないけど、うなずける内容だったよ。」
と感想が返ってきました。
母は、私からの思わぬ贈り物をとても喜んでくれました。予想以上の反応が、とてもうれしかったです。家族そろって親鸞会館で聴聞できるようになりたいと思います。
将来は、病気で苦しみ、生きる意味を渇望している人に、人生の本当の光をお届けできる看護師になりたいと思っています。