家族再生 〈第2回〉 家庭悲劇が笑顔に転じて(1)
「何で俺を生んだんや」
白地に紺で「若大将」と染め抜かれたのれんをくぐると、大将の威勢のいい声がかかった。
地元の繁華街にあるなじみの居酒屋、夜7時半の店内は、年末のせいか酔客であふれている。
奥まったテーブルに家族5人で腰掛け、ビールとウーロン茶で乾杯した。
テーブルのちゃんこ鍋がことことと音を立て始める。湯気の向こうに、堅物と敬遠してきた父が、見たこともない笑顔を浮かべている。寄り添う母も、穏やかな笑みを絶やさない。少し離れて長兄の賢治が――あの兄が――アルコールも手伝ってか陽気に話題を振りまいている。
「こんな光景、昔は考えられなかった……」
名古屋の大学に通う倉吉真理子さんは、久しぶりに家族の団らんを満喫しながら、小学校の頃を思い浮かべていた。
※ ※
真理子の家は、大手総合スーパーの社長である父と専業主婦の母、一級建築士の賢治と美術学校に通う淳之介との5人家族である。
仲むつまじい。今なら誰の目にもそう映るであろう。だが、10年前は違っていた。
兄の賢治が、中学に入った頃から反抗的になった。何が不満なのか、事あるごとに家族へ当たり散らす。
「親に向かって何を言うの!」
たまりかねた母がしかると、
「お前が勝手に生んだんやから、育てるのが当たり前やろ」。
猛然と食ってかかる賢治に母は言葉をなくした。
会社では重責を担う父は、家庭を顧みるゆとりがなく、母は一人で対処しなければならなかった。腕力ではかなわぬ我が子の、度重なる〝爆発〟に、母はなす術もなく泣き崩れた。その姿が気にかかるのか、賢治の反抗はますますエスカレートしていった。
真理子はそんな修羅場のような家に帰るのが嫌で、公園で時を過ごすようになる。しかし小学生では、逃げ出したくても帰るしかない。こんな家に生まれたことを、心底恨んだ。
そろって食事をとることもなくなり、家庭から笑顔が消えた。賢治自身も、暴言を吐く度に自己嫌悪に陥り、だからなお一層荒れた。
「生まれたくなかった。こんな自分が生きてて何の価値があんねん?おとんもおかんも何でおれを生んだんや……」
賢治は、そう叫んでいた。
賢治が高校を卒業して、大学に通い始めたある日のことである。帰宅するなり血相を変えて言った。
「おかん、よく聞いてくれ。すごい話をきいてきたんや」
目が別人のように生気に満ちていた。
「紙ないか、紙」
乱暴にチラシを数枚つかむと、その裏に書き込みをしながら、人生の目的などと口にし始めた。母は、何かにはまってしまったのかといぶかしそうに、息子の目をチラチラのぞき込むようにして聞いていた。
「無明の闇いう心があってな、普段は金や名誉や家庭やそんな明かりでごまかされて気がつかんのやけど、臨終にはすべての明かりが消えてまっ暗になるんや……」
小学5年だった真理子は、母の隣で聞いていた。兄の話はその通りだと思ったが、それよりも、まるで憑き物が落ちたような、兄の優しいまなざしを、けげんな思いでながめていた。
※人物はすべて仮名です。