聞法だけが人生の価値ある時間だった
埼玉県 杉田 浩治(仮名)
「早く決断すべきでした。今、心は晴れ晴れとしています」
昨年、聞法しにくい仕事から転職した杉田 浩治さん(47)に、後悔の念は微塵も見られなかった。
杉田さんが仏縁を結んだのは、23年前。東京の大手百貨店に就職して2年目だった。
高森先生の説法をお聞きしてからは、遠方へも参詣するようになる。百貨店の性格上、土日は休めなかったが、当時は平日にもなされていた高森先生ご法話に休暇を合わせ、月に2、3日、各地へ赴いた。
仕事は順調だった。担当の鮮魚コーナーでは、売れ行きを見ながら、刺し身にしたり、フライや天ぷら用にさばくなどの工夫で、完売した日は充実感を覚えた。マグロやアンコウの解体ショーでは、人だかりができ、ほかの魚も飛ぶように売れた。
熱心な仕事ぶりが評価され、売り場主任、仕入れ担当主任など、役職も上がっていく。
ところが、やがて平日のご法話がなくなり、仕事に追い回され、地元の講演会場からも足が遠のいた。何とか日曜に休暇を取って参詣すると、法友から、
「お久しぶりですねえ」
と言われる自分が情けない。
「このままでいいか。仕事を替えるか……」と思っても、経験を生かせる同業種では、聞法しにくい状況に変わりなく、新しい仕事にチャレンジするにも2の足を踏む。いつも問題は棚上げとなった。
生存率2割の宣告
副店長になっていた3年前のある日未明、突然の腹痛で、目が覚めた。腹に焼け火箸を差し込まれ、みぞおちを殴られるような激痛。耐えられず、部屋にあった本やカバンを手当たり次第につかんでは投げ、転げ回った。
呼吸困難で声も出ない。救急車も呼べず、やっとの思いで、近くの救急病院へ歩いてたどり着いた。レントゲンと超音波検査で、そこでは治療不可能と判明すると、大学病院に搬送される。検査結果を見て現れた細身の医師は、無表情に告げた。
「急性膵炎です。重症ですから、生存率は2割です。杉田さんはまだ若いので、何とか期待しましょう」
〝生存率2割……?〟
かすかにうなずくのが精一杯だった。
ベッドの上で、呆然と天井を見つめている時、
「おまえは、いつか死ぬんじゃない。今晩死ぬんだ。今すぐ痛みで、ショック死することもあるのだ」
と、どこからともなく声がした。
〝そうだ。彼女を失ったあの時、自分も例外じゃないと思ったはず。なのに、こんな有り様になって、ようやく気づくとは……〟
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聞法を始めたころ、杉田さんには婚約者がいた。ところが2、3カ月中には結婚するはずだった彼女が突然、入院したのだ。ガンセンターだった。
「会いに来ないでください」
という言葉に、杉田さんは、
「やつれた姿を見られたくないんだろう。きっと治る」
と信じた。が、半年後、葬儀の知らせが届く。享年23。笑顔の遺影を前に、涙も出なかった。
「この世のすべては無常、私にも死ぬ日が来る。元気な今、仏法を聞かなければ……」
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身動きできず、声も出ない。全身に点滴を打たれ、絶対安静で杉田さんは、痛切に仏説まことをかみしめていた。
そんな自分を、支部長や法友がかわるがわる訪れ、励ましの言葉を寄せてくれる。
〝何とか治って、もう一度、もう一度仏法を聞きたい……〟
と念じ続け、医師も驚く快復力を発揮し、20日間で退院したのだ。
自宅へ戻り、散乱した部屋を片付けていた時、ふと手にした20年前の聴聞のメモ。その言葉に釘付けになった。
「後生暗い無明の闇は、臨終になれば必ず現れます。これは真実なのです。皆さんも、何十年もしないうちに必ず直面するでしょう」
それは、今も昔も変わらぬ真実の説法だった。
恋も仕事も夢だった
自宅療養を続けながら、毎月親鸞会館へ向かう。
地元の講演会にも参詣し、体調を整えながら、チラシ配布などの法施も積極的にするようになった。
体調が快復するにつれ、仕事をどうするか、自問せずにおれなくなる。
「元の職場に復帰すれば、地位も安定した収入も保証されている。しかし、それでいいのか」
振り返れば20数年、何も残っていなかった。彼女と将来を語り合った日々も、連日深夜まで没頭した仕事も。
ただ、聞法した日のことだけが、人生の価値ある時間として輝いていた。
「煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、万のこと皆もって空事・たわごと・真実あること無きに、ただ念仏のみぞまことにて在します」
親鸞聖人のお言葉が心に響く。
「仕事のための人生じゃない。信心決定するために生きているのだ。今度こそ、今度こそ、聞法最優先で進もう」
一昨年11月、会社に辞表を提出。新たな人生の幕が開いた。
* *
毎月欠かさず親鸞会館へ参詣しながら、専門学校に通い、背骨・骨盤矯正、マッサージの整体師の資格を取得した。以前に腰痛で苦しんだ時、世話になった経験から、定年後にやってみたいと思っていたのだ。個人事業だから、ご法話の日に合わせて休める。
現在、開業を目指し、さらに研鑚を続けている。
「高森先生が説法の最後に、『命があれば、来月お話ししましょう』
と言われます。身にしみてなりません。生き延びた命、〝ここ一つ聞かねば〟の気持ちで、真剣に聞かせていただきます」